昼も幾らか過ぎた午後、豪奢な調度品が置かれた室の片隅。 その日のその場所からは時折小さな呻きが漏れていた。
 そこには、少年の域を脱し始めた青年がひっそりと座し、針作業をしていた。 深い青地の衣を纏う彼の膝には真白い布が有り、彼の手元で時折きらりと針が光っていて、 一目で身分と教養があると感じられる彼の身を考えると非常に珍しい光景であった。
 白布の表面から彼の操る鋭い針先がひょこりと頭を出し、再び沈む。 それを繰り返し、銀針がぎこちなく縫い進んで行く…が、しかし。

「ッ…!」

 布に針を刺した途端、彼からまた呻きが漏れた。 見えない布の下で、針が手を掠めたのだ。 しかし取り出して日に翳してみたところ、血が出る程のモノではなかったらしい。 針を針山に刺し、慌てて裏地を返しまじまじと見ても血を吸い取った跡もない。

「…、」

 安堵に思わず溜め息をついた。 白布には血の赤は些か目立ち過ぎる。 そして不吉だ。 曹丕の持つそれは乙女の様に清らかなままでなくばならなかった。

「…よくおなごは出来るものだ…」

 女達が裁縫している姿は、彼には如何にも容易く見えたのだが、実際やってみるとそうでもないようであった。 刺した指を口に銜えながらぽそりと呟いた青年は、 申し分ない肌触りに多少へこんでしまった心が慰められるかと思って無事な右手ですべらかな表面を撫でる。
 白布は名品と名高い地の蚕から紡ぎ出された絹糸を織り、清流によく晒して作られた絹布であった。 曹丕の用途故、一反からすれば端切れのような大きさでは有ったが、 それこそ帝に差し出したとて恥ずかしくない程の一級品であり、素晴らしい品であった。
 しかし曹丕は知らず眉根を寄せていた。 表情は心持ち暗い。 艶々と美しく輝く布は未だ白きままであったが、歪に影を作る小さな皺は近くで見れば見る程みすぼらしい。
 いっそ止めるか、と言葉が漏れた。 しかし諦めの言葉を裏切り、曹丕の手は波打つ布を伸ばし、針を動かしていた。 妙な使命感と決意が止める事を許さなかったのである。
 また一針、小さな穴を開けて白絹へと沈ませる。 均等に縫い目が出るように、針に神経を集中させる。 幾度となく繰り返しても、この瞬間は慣れない。 縫い目に集中していると手を傷つける。 かと言って手に集中させ過ぎても縫い目がおかしくなる。
 しかし、今回は珍しく良い位置に針が刺さった。念の為、裏側を確認しても申し分ない刺し位置である。

「…良し」

 思わず喜びに小さな声が漏れた。 一針とは言うものの、これ以上の失敗をする訳にはいかない身としては多少大げさな喜びではない。
 する、と針を抜き糸を通す。 この成功のままに次へと縫い進めようと裏から鋭い先端を当てた。

「子桓様、何をなさっておいでです?」
「なっ、仲た、ッ痛!」
「子桓様!?」

 不意の乱入者に手元を誤り、指先に針が刺さってしまった。 一際深く射したのか、針を抜く前から血が盛り上がって玉になった。 慌てて司馬懿が抜いたせいで、溢れた血が肌を伝い、布に滴り落ちていく。

「ぁ…」

 曹丕が茫然としている間に、布はじわじわと深緋色の模様を濃くしていった。
 それは曹丕の数時間あまりの努力を無に帰す光景であった。

「申し訳ございませぬ! 今、薬師を、」
「…馬鹿者、刺しただけだ。舐めておけば治る」
「しかし、」

 患部を口に含んで吸う。 鉄錆の味に内心眉を顰めたが、宣言通り大した事のない傷で、口を離した時には既に刺した跡もなかった。

「ほら、大丈夫であろう」

 しょんぼりと肩を落とした司馬懿は溜息を吐いた。 人よりも殊更失態を嫌う性格だからだけではなく、曹丕に心からの親愛を寄せる男だ。 たかが針を、しかも司馬懿が直接刺した訳でもないと言うのに、それは精神的に相当な痛手であったらしい。
 既に血さえ滲まぬ指先を見せても眉根を寄せ眉尻を下げたままで、じっと傷つけた指先に視線を向けている。

「…お前は気にしすぎだ…」

 手にしていた針を針山に指す傍ら、今し方まで縫っていた白布を脇へ寄せた。 司馬懿がそれにも目で追ったので溜息が漏れた。

「それは…」

 覇気のない声が、曹丕の除けた布について問う。 もしかしたら、汚してしまった責任を負い、新たに用意しようと言うのだろうか。 この男ならやりかねんな、と曹丕は思っているが、幕僚の中では若輩者とは言え、 名門出身の、しかも神算鬼謀の持ち主と噂される男が針仕事をする姿は些か体面上問題がある。 第一、これだけは弁償されても意味がない。

「…此も気にするな。元より使える代物ではなかった」

 男の体面と、布の有り様と。 両方を加味して、曹丕は白絹を縫う事を諦めた。
 縫い目はお世辞にも綺麗とは言えない。 まちまちの糸の間隔、曲がりくねった線、更には糸の加減を間違えて布がひきつれて皺が寄ってしまっている。
 実を言うと、これを贈り物にするつもりであったのだが、余りにも不格好過ぎた。 勿論、不吉な染みが付いたと言うのは、残念ではある。 だが、未練たらしく作り続けようという心に諦めを着かせるには却って良かったのだと思わせた。

「…申し訳ございませぬ…」

 しかし、曹丕が心に決着を付けたにも関わらず、司馬懿は未だ落ち込んだままであった。 そのしょんぼりとした様は叱られて耳を伏せた犬に瓜二つで何とも情けなくて溜め息が出た。 本当にこれが狼顧の相と言われた男なのだろうかと聞きたくなる。

「…、」
「もう良い。…それより仲達、何か用があったのであろう?」
「…はい」

 尚も司馬懿は言い募ろうとしたようだが、掘り下げられたくはない曹丕の心情を読み取ってか、 司馬懿の口からはそれ以上の言葉は無かった。 代わりに居住まいを正し、拱手する。

「…明朝、出陣致しますので、御挨拶に参りました」
「…話は聞き及んでおる」

 常を取り戻した男の声に、曹丕が静かに肯んじる。
 漸く最近になって曹操は司馬懿を使い始めた。 郭嘉、荀ケ(イク)と立て続けに若く優秀な智将を失った事が、きっかけであろう。 現在、彼らに変わって知謀を巡らす賈クにしろ荀攸にしろ、彼ら以上に年を気にするべき年齢であった。
 乱世の姦雄も、早くや四十を超える。 軍の中核を担う将軍達も未だ現役とはいえ、もう若くはなかった。 邁進を続けてきた軍も老い始めていた。

「待望の軍務だ。存分にその才を奮うが良かろう」
「は、不才の身ではございますが、微力を尽くす所存です」

 心の内で主と仰ぐ曹丕の励ましに、司馬懿が深々と額付いた。 彼の帽子飾りと長い黒髪が垂れ、冷たい床の上で丸まっていた。 その常より丁寧な跪拝が、男の興奮を物語っていて、思わず曹丕から苦笑が漏れた。不意に笑った主に司馬懿が訝しげに頭を上げる。

「…何か?」
「…何、無沙汰を詫びるより先に、参陣の別れを告げるとは仲達らしいと思ったまでの事…」

 初陣のくせに興奮しおって、と、曹丕が皮肉げにからかった。 言った途端、羞恥にだろうか、さっと司馬懿の頬に朱が差して、それもまた曹丕の笑いを誘った。

「…そ、れは、失礼を…」
「構わぬ。仲達は私の子守よりも父との戦の方が良いと言う事であろう?」
「そんな事は…!」

 動揺するばかりの臣下は、眉を顰めて不況を露わにした主君に必死に言い募った。 常ならばそのわざとらしく拗ねた曹丕に気づくだろうに、 余程慌てていたのか年上の余裕どころか礼をもを忘れて足元から縋るようにして詰め寄る。
 人の父親だのに、あんな小男など何とも思っておりませぬだの、 子桓様以外に我が君はおりませぬだの言葉を尽くす様子は些か滑稽で、くつりと笑いが漏れてしまった。 それを司馬懿は否定と取ったようで、縋っていた脚の衣を皺がよる程強く握り締めてきた。

「っ子桓様…!!」
「…冗談だ。それ程、仲達が大物と言う事であろう」

 戦に怖じ気づく側近など要らぬ。
あまりの動揺ぶりに流石に少し哀れになり、打って変わって曹丕が笑んでやった。
 思えば、曹丕の初陣は十になったばかりの事であった。 漸く曹操が乱世に名が売れてきた頃で、四方は自軍よりも格上の者ばかりの時分であった。 後方で大将を務める今より遙かに生の保障などない。 加えてその戦で長兄曹昂、従兄弟の曹安民など近しい者が呆気なく戦死した。 自分の武勇にはそこそこの自信はあったものの、 彼らのように容易く死んでしまうのではないかと恐怖は常につきまとっていたと記憶している。
 司馬懿はあの時分の曹丕とは違い、充分に大人ではあり自軍も他勢力を圧倒するようにはなったが、 曹丕があれだけ恐れた事を何とも思わぬ素振りでいられるなどと、感嘆するよりも寧ろ憎らしい。

「…からかったのですか」
「ふ…からかったなどと人聞きの悪い…。浮かれて地に足が着かぬ臣下に、優しい主君が戒めてやっただけであろう」

 羞恥に怒りが加わって益々赤らめた顔でむくれる側近の顎を掴んで無理に此方を向かせた。

「それで?」
「…何がです?」

 不遜な男は噛みつかんばかりにきっと睨みつけてきた。 その様が自身を正当化するような様で如何にも彼らしい。

「まさか挨拶だけなどと殊勝な事だけでは無いのだろう? お前の事だからな」

 曹丕を見る男の目には、戦への興奮とは別にちらちらと姿を見せる興奮があった。 喩えて言うならば、それは獲物を狙う狼の眼だ。

「不遜な奴よ。餞を自ら強請りに来たのだろう、司馬仲達?」
「…その通りだと…申しましたら?」

 男が一瞬眼を閉じた。 次にその黒眼を開けた時には、著く欲が揺らめき、主を強く見詰めていた。 吐く言葉は曹丕の挑発に挑発で応じるものであった。

「ふ…詩の一つでも詠んでやろう」
「有り難きお言葉…しかし、私は朴念仁でございます故、折角の秀句も真に理解し申し上げられませぬ」

 紫の袖を大きく空に舞わせ、大仰な拱手をした男は、さも残念そうな口振りで薄い唇が辞退を奉る。

「では何が良いのだ?」

 素知らぬふりで寛大な主を装いながら曹丕が訊く。 男の前で背を椅子にだらしなく預け、見せびらかすように足を組んだ。 沓と袴子の隙間から白い踝を惜しげもなく晒せば、そこに絡みつくような視線を感じて低く笑った。 腕を掲げたその陰から、臣が主である曹丕の肢体をその踝からひたりと視姦していく。

「…不興を承知で願わくば、」
「…ほう?」

 主が見下ろし、その挙動を見つめる中、男がにじりよる。 差し伸べた手で沓を脱がすと、現れたつま先を包み込むようにして撫でた。 鋭利な金の爪は主の足を傷付けぬように丁寧に捧げ持っている。

「…貴き宝玉、一つきりで私には充分にございます」

 足の甲に司馬懿が恭しく唇を落とした。 冷たい唇がそのまま踝辺りまで這わされる。

「遠く征かねばならぬ哀れな臣に餞をお与え下さりませ」

 男が下手からいっそ卑屈な程に請うた。 しかし曹丕を仰ぐ顔にはうっすらと獰猛な笑みが浮かべられており、それを目にした曹丕がふっと口端を上げた。

「それ程、この体に執着するとは滑稽な男だ…」

 司馬懿は曹丕などより余程良い家の家柄の士大夫である。 普通ならば寒門出の男に跪き、ましてや足に口付けるなど山より高い矜持が許さない筈であるのだが、全くおかしな男である。 司馬懿は家柄にも見目にも不自由していないのだから、 幾らでも良家の子息子女なり麗しい妓女なり望めば難しい事はないだろうに、敢えて皆が避ける男を望むとは。
 つらつらと曹丕が考えていると、主が何を考えているなどとお見通しと言わんばかりにくつ、と司馬懿が笑う。

「…己が価値を知らぬとは残念な事ですな。如何な傾城とて、この宝玉には適いますまい」

 細い爪が足の線を辿っていく。 つ、と下から撫で上げられる感触に思わず身震いすると男の顔が嬉しげな色を乗せた。 常日頃の他人を見下していると言わんばかりの冷めた顔に策が成った時などの得意げな顔とは随分違う、その素直な表情は珍しい。

「…頂けますか?」

 男は少し首を傾げるようにして曹丕を窺っている。 媚びるように強請るように曹丕を見る様(さま)に、曹丕から溜め息が一つ零れ落ちた。

「…至玉に見えると言うのならば精々愛でて見せよ」
「御意」

 曹丕の言葉に跪いたままの男は手を差し伸べた。 それはまるきり可愛らしい姫君や新妻に添えられる手のようで、主に向けるには些かそぐわぬものである。 しかし確かに取ると信じているのだろう。 手を出す素振りのない主にめげる事無く手を差し出し続けている。

「…何の心算か」
「折角の至宝なれば手づから頂きたく…」

 仏頂面で問うた声に、よくぞ訊いてくれたと言わんばかりに司馬懿が笑みを見せた。

「…許しを与えられたのだから勝手に奪えば良いものを。いつもの威勢は如何した」

 不承不承、男の手を取った。 腹立ち紛れに自身の手の甲に骨が浮き出る程強く握ってやったのだが、相手は何ら堪える事はなく、 寧ろにこりと益々嬉しげな笑みを浮かべて唇を落とした。

「御自ら、というのが、私には何より尊きものでございますれば」

 言い様に、つい、と男が立ち上がる。 自然な所作で曹丕を立たせた男はこれまた自然に腰を抱いた。

「宜しければ参りましょうか」

 男にふん、と鼻を鳴らす。 その拗ねた様が可笑しくて仕方ないとばかりに男が笑った。










「…今日は随分しつこいな…」

 さわり、と汗ばんだ体に手が這う。 それを弱く叩き落としながら、覆い被さらんとする側近を仰いだ。
 今は何刻だろうか。 知らない間に室には灯りが灯されていて、薄暗闇の中に男の艶やかな髪が橙の光を放っていた。 光を握りしめようと曹丕が手を伸ばし、緩く握りしめた。 手慰みに弄くっても、ゆらゆらと何処かしらが光るだけで捕まえられない。 男は微笑ましそうにその幼げな所作を見ているだけで咎めなかった。

「…そういえば、子桓様? 先程の…」
「…何だ?」

 手慰みをして聞き逃した曹丕が聞き返すと、男が僅かに身を起こした。 するりと手の内を滑り、引き留める間もなく黒髪が逃げていく。

「あの白絹の話にございます…」

 司馬懿が喉奥で笑い、捕らえ損ねた光が惜しいとばかりに手を筒にしたままの主の手を取る。 ちゅ、と音を立てて口付けると名残惜しげに唇を当てたままで静かに言葉を接いだ。

「あれは昨今、城下の女人どもに流行っている呪(まじな)いの一種でございましょう?  白絹で手づから縫った帯に自らの髪を一房縫い込め、相手に持たせれば則ち戦より生きて還る、と言う…」
「…お前とも在ろう者がまた妙なモノを知っている事だ」
「民の関心事に疎くては政は出来ませぬ」

 得意げに司馬懿が笑った。 対して気まずげに顔を背けた曹丕に構わず、爪先を舌がくすぐっていく。
 詩にもそれ程熱心に知れば良いものを、とごちる主君にも、雅事は庶民には縁薄いものですと気にした様子もない。

「して…彼の代物、どなたに差し上げるおつもりだったのです?」
「…お前は誰だと思うのだ」

 再び覆い被さってきた男は、横顔に唇を落とした。

「さて、今回の従軍は曹真将軍など貴方の親しい方も多数参加致しますから…分かりかねます」

 はは、と側近が軽い笑い声を上げる。 しかしすっと笑いを収めると、固い声音で囁いた。

「―――――しかし、誰知らぬ男の為に、あのような顔で生還を願って繕うとは…些か妬けますな」
「何を馬鹿なことを…」
「馬鹿な事ではございませぬ」

 呆れて物も言えぬ曹丕に男は即座に苦笑しつつ言い返す。

「私は還って来ぬ方が良いのかと邪推してしまうではありませぬか」
「……、」

 ―――――阿呆かこいつは。
 怒りに男への罵りが思わず口を突きかけた。 男の曹丕が縫うのだから贈る相手は男であるのは当然だが、それに情人である己を入れぬ馬鹿さ加減は如何ともし難い。 例えば、己こそが主に選ばれたなどと、図に乗った訳ではないのだから一応は謙虚だと言えようが、 しかし一方で主は簡単に男を乗り換えるのだと言われているも同然である。
 また何より、簡単に死を口にして平然としていられるこの男の神経にも腹が立った。 死すれば一介の土塊にしかならぬけれども、だからと言って残される者が平然としていられる訳がないのだ。 それは如何に冷酷と言われる曹丕でさえも変わらない。
 阿呆め、と曹丕は小さな声で吐き捨てた。 司馬懿は聞き取れなかったのだろう、僅かに首を傾げる素振りを見せた。

「…子桓様? ……、」

 曹丕が相変わらずのしかかったままの側近ににこりと笑いかける。
 滅多にない曹丕の満面の笑みに何か鬼気迫るものを感じたのだろう、男の腰が引けた。 しかし完全には退かなかった。

「…仲達よ」
「は…グッ!?」

 側近が息を吐いたところを見計らって、鳩尾に膝頭をめり込ませた。 衝撃に思わず体を固まらせた男を邪魔だとばかりに自らの体の上から蹴り落とす。

「ッし、桓様…なぜ…」
「自業自得だ」

 呻く男を見下ろして鼻で笑う。 しかし背を向けると、ぽつりと零した。

「…こんな馬鹿の為に女々しい真似なぞするべきではなかったな」

 床から降りて男に放り捨てられた衣を無造作に羽織る。 帯を直すと何事もなかったかの如く涼やかな顔をして立つ曹丕の姿があった。
 男はまだ起き上がれない。 手加減したとは言え、武人の曹丕が無防備な体に叩き込んだ一撃は相当に利いたらしい。 常ならば着替えを手伝うと言ってくる男は、その余裕もなくぐったりと沈んでいた。

「この不敬者め、あれが『縞紵』なれば如何する。よもや主の交友までも貴様が干渉するのか」
「!」
「それとも『縞紵』を知らぬとのたまうのか?」

 『司馬師父(センセイ)が教えた事だろうに』とせせら笑った曹丕に、 はっとした司馬懿の顔が染まった。 途端に狼狽え始めた男に衣服を乱暴に投げつけても余程衝撃的な一言であったのか突っ伏したままで起きあがろうともしなかった。 『縞紵』ならば縫わなくても、と反論が来るかと思いきや、存外におとなしい。

「余程貴様は私に他の男をあてがいたいと見える…ならば貴様の居ぬ間に望み通りにしてやろうではないか」
「なっ!?」

 苛立ちのままに冷たく言い放った曹丕が踵を返した。

「お、お待ち下さい…!!」

 背後で狼狽えた男が主を追い縋ろうとしたけれども手負いの体ではそれも叶わず、ぽつんと一人残されることとなった。





 後日、陣中に『縞紵』と一言のみ記された書と件の白絹の帯が届けられた男が戦慄したというのは言うまでもなく。
 その一件に余程戦慄したのか、「早や出陣を!」と渾身の奇策を献じ続け、 初陣ながら自軍を異様な早さで凱旋せしめた若い軍師の噂は、 遠く都の主にも聞こえさせたのであった。










 終





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 壱万リク、2つめ。『丕様が慣れない事をしている所を仲達が発見してあれこれ…』を蒼真様に献上いたします。

 好奇心は人一倍あったらしい+父似で型破り大好き+自称なんでもこなす丕様ですので大抵のことはしてそうだな、 と、悩んだ挙句、裁縫になりました。 何かもっと気のきいたものを想像していたらすみません…想像力と実力の限界です;  でもそんなことを想像しておいて、 ちくちく仲達の為にお守りを縫ってる丕様を書くのが物凄くこっぱずかしくて遅筆に磨きがかかったなんて誰にも言えません。 (←言ってます)
 折角素敵なリクを下さったのに不甲斐なさ過ぎてもう…!!orz

 因みに、タイトルと文中の『縞紵(こうちょ)』とは、
   『縞紵(こうちょ)
     友人間の贈り物。
     春秋時代、呉の季礼が鄭の子産に白い帯を贈り、
     子産は麻の着物を贈ったことから。(角川新字源 787p)』
 です。 ぐぐっても原文とか記事が見付からなかったので、愛辞書から引用。
 要するに、恋人兼友人からただの友人に降格の危機を迎えた仲達ということです。(要約)

 ……と、色々述べましたが、此方をリクエストして下さった蒼真様に捧げます。 大変遅れてしまいまして申し訳ございません;  改修、誤字脱字修正などは随時受け付けますので遠慮なく申しつけ下さいませ!;


 20081209 海石