「……私は、愛されていたのだ」 息を整えた母が最初に零したのは、その一言だった。ぽつり、と吐き出した言葉は、過去形だった事もあってか痛々しく聞こえた。 「だから、私はあの方に大軍を任され、二人であの方の魏を守ろうとまで言われたのだ……」 『吾東、撫軍當總西事。吾西、撫軍當總東事。』 先帝から与えられた言葉をなぞる、先程の激情が嘘のように静かな声。否、静か過ぎるかも知れない。抑揚の無い声は生気が感じられぬという次元を超えて、死人かとも思えるほどだった。 「……そうだ……。本当ならば、私はあの方のお傍に居て……、呉も蜀も……あの小賢しい諸葛亮すらも……私が討ち取って捧げていたものを……」 ―――――なのに、何故? と。幼さすら感じられる口ぶりで、母は誰に問うたのであろうか。唇は更に、音も無く言葉を補う。 ―――――なのに、何故、貴方がいないのですか? ぱたり、と新たに雫が落ちる。瞬く間に、ぱたぱたと落ちる涙は増え、咽ぶ様に泣き出した。 「っ……かん様……子桓様……何故仲達を置いて逝かれましたのか……っ!! 何故私はあの男の様に戦えぬのですかぁっ……!!」 同じ様に主君を亡くしたというのに、未だに戦える男の事。 母に気付かれぬように溜息を吐いた。母の思考は何の話題であれ、結局、其処に帰結していく。未だに国の重鎮として、亡き主君と主君の残した国の御為に戦う好敵手の諸葛亮を、ずるいずるいと羨んで妬むのである。 慣れぬ酒に溺れる母の心はいつも、此の国に在って、此の国では無い所に馳せている。 ++++++++++ 戻 |