ハロウィン閑話








「トリックオアトリート?」

十月が終わり、十一月に入ったばかりの土曜日、曹丕の住まうマンション。
今、司馬懿の目の前には狼がいる。
ふわふわの耳と尻尾を持った小さな狼だ。
その可愛い狼が首を傾げながら、お菓子をくれないと悪戯するという、定番の決まり文句を口にしたのだ。
思わず玄関に立ち尽くす。

(可愛過ぎます子桓さん!)

何とか口に出すのは堪えたものの、衝撃的な出来事に叫び出したい気持ちでいっぱいである。
少し前、世間ではハロウィンというイベントで大層盛り上がっていた。
バレンタインデーが製菓業界の陰謀だと言うのなら、ハロウィンは製菓業界と服飾業界の共謀だろうか。
コスプレをして、お菓子を食べる。
会社でも南瓜の入ったマフィンだかを食べさせられた。
賈クに犬の耳の付いたカチューシャを装着させらそうになった時には断固として拒否したが、一体何の行事だろうとつくづく思ったものだ。
「ハロウィンだよ、知らないのかい?」と郭嘉に言われ、「はあ?」と言ってしまった程だ。
その時は馬鹿らしいと思ったが、今なら言える。

「良いものですね、ハロウィンというのは」

「仲達?」

今度は抑えが利かなかったようだ。
心の声を口にしていたことに、そしてばっちり聞かれていたことに羞恥を覚えながら、誤魔化すように咳払いをする。
そして改めて曹丕と向かい合った。
着ているものこそ普段着だが、確かに頭には耳がある。
手には肉球付きの手袋、そして尻尾。
どこからどうみても狼だ。
一つずつ確認して、自分を落ち着けるために改めて、問う。

「子桓さん、そのお姿は」

「ハロウィンだからと、貰った」

「どなたにですか?」

「三成と左近だ。もう十分楽しんだそうだ」

どんな楽しみ方をしたんだ、と胡散臭い男の顔を思い浮かべながら考えるが、深く追究はしないことにする。
塾で知り合った友人だという石田三成と、その保護者のような存在の島左近。
司馬懿は何度か会っただけだが、左近が自分と似たような立場であることは何となく想像がついた。
周りを牽制しつつ親切顔で囲い込む手管は違えど、やっていることは大差ない。
相手もそれを察したのか、会う度ににやにやと笑いながら、最近どうです?などと聞いてくるのだけは、やめてほしいのだが。
コスプレアイテム一式はそんな二人からの貰い物だという。
いかがわしい香りがそこはかとなくするそれを見ながら、これからどうしようかと司馬懿は思案する。
しかし考える間もなく答えは出た。
目一杯楽しもうと、後ろ手に持参したケーキの包みを隠しながら、曹丕と目線を合わせるために屈む。

「では子桓さんは今は狼男ですね…お菓子がないと私はどうなってしまうのでしょうか」

「えっと、いたずら、する」

「ああ、それは怖い…生憎、私はお菓子を持っていないのですが…どんな悪戯をされてしまうのですか?」

どんな反応をするのだろうかと期待しながら言葉を待っていると、みるみるうちに曹丕の表情が変わる。

「お菓子……ないのか?」

(ちょっ、それは反則ですよ…!)

今にも泣きそうな顔でそう聞いてくる曹丕に、罪悪感やら愉悦やらで予想以上のダメージを受けた。
無機物である獣耳と尻尾が萎れる幻覚さえ見えて、司馬懿は内心身悶える。
この状態で可愛い悪戯などされたら一溜まりもない。
そのままどうにかしてやりたいという衝動を必死に堪え、申し訳ありません、と素直に謝罪する。
すると、曹丕は目を丸くして司馬懿を見上げた。

「え…?」

「つい意地悪を言ってしまいました…用意してありますので、泣かないで下さい」

「…な、泣いてない!」

途端にかあ、と顔を赤く染めて反論する曹丕を堪能して、漸く靴を脱ぐ。
拗ねた様子で先にリビングに向かう背中に、ふっと湧いた言葉を投げ掛けた。

「子桓さん」

「何だ?」

「トリックオアトリート?」

本当にただの思い付きだったが、何を言われたのかわからない、と言わんばかりの顔が、徐々に戸惑い、狼狽し、不安そうなものに変化するにつれ、また司馬懿の中に良くない欲望が頭を擡げ始める。
そしてそれはおろおろと忙しなく辺りを見回し、絶望したように自分を見上げる曹丕を見て、最高潮に達した。

「も、持ってない……いたずら、するのか?」

下半身直撃。
まさに雷が落ちたような衝撃だった。

(悪戯させてください!勿論性的な意味で!)

言いたい。
凄く言いたい。
そして実行したい。
だが言える訳がない。
喉まで出かかった言葉を必死に飲み込んで、何とか理性で蓋をする。
普段なら取り繕える筈の本音が抑え切れないのは曹丕の頭上に燦然と輝く装飾品の効果だろうか。
おそるべしけもみみ。
くらくらする頭を振って正気を取り戻すと、今更無意味も甚だしいが、何とかいいひとの仮面を被ってにっこり笑う。
挙動不審な司馬懿を困惑したように見つめる曹丕のことは、見なかったふりをした。

「まさか…あなたに悪戯なんて出来ません」

白々しい、と第三者がいればせせら笑ったに違いない台詞を至極真面目に言ってのける。
それでも不安そうな曹丕に、司馬懿はにこやかに提案した。

「では、こうしましょう…このケーキを私にも分けて下さいませんか」

「ケーキ?」

突然の言葉に意図が理解出来ないらしい。
耳が拾い上げた単語を鸚鵡返しにする曹丕を見ると和む。

「そうすれば、お菓子をもらってしまうことになりますから、悪戯できませんね」

説明をすると、司馬懿の言葉を理解した曹丕が尊敬の眼差しを向けてくる。
大人の余裕の笑みを返しながら、自らの自制心に心の中で喝采を送っておいた。
曹丕の愛らしさと己の欲望と日々戦う――それが司馬懿の日常である。



「ところで、本当に私がお菓子を持っていなかったら、どうしました?」
「……靴を隠して、帰れないようにする」
(やばい可愛すぎて死ぬ)








エンド






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司馬懿視点の話でした
普段余裕ぶってる割に頭の中はこんなんです