洒落にならない話 司馬懿は大学生である。 ついでにコンビニ店員である。 夜な夜な陰気な顔でバイトに励む彼はここ最近、更にしんねりした顔をしていた。 外から見たら陰気臭い、の一言だが、実は違う。 司馬懿はしょんぼりしているのだ。 原因は一人の男にあった。 曹丕という名のその男と知り合ったのは、このコンビニだった。 偶然司馬懿の勤務している日にやって来た曹丕は、司馬懿を困惑させられるだけ困惑させ、嵐の如く去って行った。 それ以来、頻繁に、しかも司馬懿がいる日を知っているかのように、曹丕は現れた。 そしてその度に、曹丕は司馬懿に可愛いだとか綺麗だとか、挙げ句には好きだとか、甘い言葉を囁くのだ。 最初は曹丕を蛇蠍のように嫌っていた司馬懿だが、会う回数を重ねるにつれ、次第に絆され始めた。 曹丕がたまに見せる世間知らずな一面も、やけに庇護欲をそそられる。 そんなこんなで、数ヶ月もしないうちに、司馬懿は曹丕に毒されていた。 ついつい行動を目で追ってしまったり、造作だけは誰にも引けを取らない彼の顔に見惚れてみたり。 自分でもまずい兆候だとは判っているのだが、無意識なのでタチが悪い。 そしてこの時、曹丕が自分をどのような目で見ているかを、司馬懿は忘れていたのだ。 司馬懿はその日も深夜バイトに励んでいた。 しかし、同じ時間に入る予定だった人が急病で休みになったため、一人である。 忙しいのを覚悟していたが、運良く客入りが少なく、比較的のんびり過ごしていた。 今日は楽勝と余裕ぶっこいていると、ふと客が途切れた。 休憩しようか、などと考えていたら、来客を告げる音が店内に響く。 タイミングの悪さに内心舌打ちしながら、入り口に視線を向けると。 「…曹丕さん?」 其処に立っていたのは、司馬懿を悩ます張本人、曹丕だった。 いつものスーツ、いつもの美男ぶりだが、どこか様子が可笑しい。 一言も発さずレジまで近付いてきた曹丕は、何と、ずかずかとレジの中まで入って来た。 「ちょっ…駄目ですよ、入ったら!」 司馬懿が慌てて静止するも、曹丕は意にも介さない。 それどころか、突然のことに対応出来ない司馬懿を、カウンターと繋がった事務所に押し込んだ。 「ッ…曹丕さん!?」 肩を掴まれ、壁に押し付けられる格好になった司馬懿は、驚きと恐ろしさに不安になりながら、曹丕を窺う。 曹丕は尚も言葉を発さぬままである。 今、店内には自分と曹丕しかいない。 朝勤の人間もまだ来るには早すぎる。 客もこの時間帯には殆ど訪れない。 助けは期待出来そうもなかった。 「…いつも、見ているな」 「ッ!?」 不意にかけられた言葉に、司馬懿は咄嗟に反応出来なかった。 意味が判らなかったというのもあるが、最大の原因はそれが事実だったからだ。 自分が曹丕を邪な気持ちで見ていた罪悪感と、そのことを曹丕に知られていたという羞恥。 二つが綯い交ぜになって、司馬懿の思考能力を奪う。 「っ離れて下さい!」 そして次の瞬間、顔を真っ赤に染めた司馬懿は、叫びながら曹丕の肩を思い切り押した。 この場から逃げたかった。 しかし曹丕はびくともせず、伸ばされた司馬懿の腕を取り手首を掴む。 両手首を一纏めにすると、頭上に掲げるよう縫い止めた。 「…っ曹丕さん!?」 司馬懿の力では拘束は解けない。 混乱したまま曹丕の名を呼んでも、解放してくれそうになく、司馬懿はただ縋るような視線を曹丕に向ける。 「曹丕さん…離して、下さい…」 「…そのような目で見られて、離せると思うか」 「何、言って……ッ!?」 司馬懿が文句を言ったのと、曹丕が司馬懿の口を塞いだのが同時だった。 余りにも突拍子のない曹丕の行動に、司馬懿は固まる。 司馬懿の抵抗がないのを良いことに、曹丕は唇を深く合わせる。 強く司馬懿を押さえつける力とは対照的に、曹丕の口付けは酷く優しい。 軽く啄まれそっと食まれ、不覚にもうっとりし始める司馬懿である。 抵抗しなければ、という思いを温かい唇が奪う。 司馬懿が曹丕に身を委ねそうになる前に、名残惜しみながら曹丕は体を離した。 「そ…ひ、さん…?」 はあはあと甘く息を吐きながら、司馬懿は曹丕を見つめる。 腕の拘束はとうに解かれていたが、曹丕を突き放す気にはならなかった。 「そのような顔で見るな…我慢出来なくなるやもしれんぞ」 自然縋るような格好になっていた司馬懿に、困ったとばかりに苦笑して、曹丕は司馬懿の手を取る。 熱っぽい視線を送りながら、司馬懿はその手の温もりに酔いしれる。 「終わるまで待っている」 耳元に囁かれてこくりと頷いたのは、殆ど咄嗟だった。 それを見て微笑むと、曹丕は再び我がもの顔でカウンターを通り、店を出ていった。 その後ろ姿を見送り、司馬懿は大きく息を吐いた。 座り込みそうになる体を叱咤して、夢のようだった数分間を思い出す。 まさか曹丕があんなに強引な手段に出るとは思ってもみなかった。 何故もっと抵抗しなかったのか、されるがままになっていたのか。 しかし曹丕を拒否するなどという考えは、微塵も起きなかった。 「待っている…か…」 曹丕が触れた唇をそっと指でなぞる。 その姿はまさしく乙女だ。 「曹丕さん…」 ちょっとマゾッ気のある司馬懿は、この瞬間曹丕の力業に陥落したのだった。 あの日から数週間。 相変わらずコンビニのレジカウンターの中で、司馬懿は仏頂面で立っていた。 あの日、朝勤務の人に顔が赤いと指摘され、風邪気味なのだと誤魔化しながらバイトを終えた司馬懿が店を出ると、曹丕は自動販売機に寄りかかりながら、煙草を吸って司馬懿を待っていた。 その立ち姿に見とれていると、司馬懿の存在に気付いた曹丕は端麗な顔を綻ばせる。 不覚にもきゅんとした司馬懿を、曹丕は車で家まで送ってくれた。 携帯電話の番号とメールアドレスを交換すると、なるべく連絡を取るとまで言う。 送ってくれた礼にお茶でも、と司馬懿は提案したが「バイト明けなのだからしっかり休め」と曹丕は辞退した。 離れ難く思っていたら、二度目のキスをされた。 腰を抱かれ、引き寄せられて、濃厚な口付けを受ける。 今まで経験したことのない甘さにくたりとなった司馬懿を抱き止めて、曹丕は、続きは今度、と囁いた。 それから、曹丕はこまめに、だが鬱陶しくない絶妙のタイミングでメールや電話をくれた。 司馬懿が曹丕のことを思い出すと、彼から連絡がある。 まるで司馬懿のことを何でも理解しているかのようだ。 しかし、司馬懿にはいまいち物足りない。 それは曹丕と直接会えないからだ。 あれほど頻繁に訪れていた曹丕が、全く姿を現さないのだ。 「お忙しいんですか?」 思わず曹丕に直接尋ねたことがある。 すると曹丕は苦笑し、申し訳なさそうに答えた。 「ある案件にかかりきりでな…済まない」 「いえ、とんでもないです」 その時はそうなのか、と思った司馬懿も、もしかしたら遊びで自分を籠落したのでは、と考えた。 だが、メールは暇があれば送ってくれているようだし、邪推したようなものではないらしい。 それどころか、多忙の中、短くとも返事をくれているのだと、思うと嬉しさが込み上げてくる。 完全に曹丕に夢中だ。 しかし恋する乙女のように彼の人を待ち焦がれた日々は、一先ず解消される。 今日、仕事が一段落したので会いたい、と連絡があったのだ。 勿論快諾すると、バイトが終わる頃迎えに行くと言われた。 それからというもの、司馬懿の心は逸るばかりだ。 仕事をこなす速度も心なしか速く、時計を確かめる頻度も高い。 不機嫌に見えるが、実はいつになく上機嫌で、いつもは面倒なカウンターフードにも腹が立たないのだ。 (もうすぐ、だな) あの変な客がこんなにも愛おしくなる日が来るなんて、と司馬懿はしみじみ思う。 ふと見慣れた人影が扉の外に見えた。 会いたかった、とか好きだ、とか言えるほど自分は素直ではないけれど。 だからせめてと、笑みを浮かべて司馬懿は彼の訪れを待つのだった。 エンド ++++++++++ くっつく前とくっつく直前とくっついた後の仲達のギャップをお楽しみ下さい(爆) 戻 |