何処迄も目を覆う普遍の碧い空を 見上げれば蒼天、見つめた先には碧玉 合肥は渡せない。 ならば他の地はくれてやってもいいのか、とも言われそうだが、合肥は魏に必要な地だった。 呉を抑えつけ、牽制し、兵力を割かせるのに、此れ程必要な地はあるまい。 其処を、僅かな軍勢で守っている。 此れは呉にも魏にも好機である。 呉は大軍で押し包めば、此の地を取れるかもしれない。 魏は其れに乗じて、呉を叩けるかもしれない。 情勢はどうにでも動くだろう。 事実、呉が兵を対岸に集結させている。 数に恃んで此方を潰そうとする呉に、どう対処すべきか。 其の方法は恐らく容易には浮かばない。 魏は合肥に大軍を割けない。 漢中の平定が思うようにいかないのだ。 呉は同盟国である蜀の働き掛けで軍を動かした筈だ。 ならば、合肥に兵を送れば蜀の思う壺である。 寡兵で打ち勝たなければならない。 仮令圧倒的不利でも、だ。 嘆いている場合ではない。 何の為に自分が此処へ派遣されたか。 守る為だ。 出来ると見越したから、曹操は自分を此の地へ行かせた。 其の期待に応えることは出来る筈だ。 (来たか) 不意に外が騒がしくなった。 伝令だろう。 鉤鎌刀を手にして張遼は立ち上がった。 合肥へ出兵する。 大軍を率いて合肥を取りに行く。 魏の守将は張遼。 今迄何度も呉を追い払ってきた強敵だ。 今度こそ勝てるだろうか。 張遼は、元は呂布の軍にいた男だそうだ。 最強の武を追い求める姿は恐ろしくもある。 当代随一の武を誇っていたに違いない呂布と共にいた張遼。 今は曹操に従って武を磨いている。 そんな男も乱世には多くいるのだろう。 しかし、実際に対峙してみると、其の強さが身に沁みる。 大軍でも勝てないかもしれない。 だから策を巡らせるのだ。 蜀の要請があったとはいえ、合肥は呉に必要な土地である。 負ける訳にはいかない、弱気になってはならない、と自分に言い聞かせる。 「殿、宜しいですか」 呂蒙が呼んでいる。 孫権は入れと呂蒙に声をかけた。 伝令が齎した情報では、此方は明らかに分が悪い。 其れは対陣に敷かれた兵の数を見ても瞭然である。 消沈する将兵を奮い立たせるには、言葉だけでは足りない。 自分が先頭に立って、戦を有利に運ばねばならないだろう。 正面から立ち向かわなければならないだろう。 どうやって攻めれば効果的か、呉軍を完膚無き迄に叩けるか。 従者に馬を引いて来させた。 武器は持たずに馬に跨ると、制止する声を聞かずに駆け出す。 近付ける限界迄近付くと馬を止めた。 夥しい数の人影が目に映る。 良く目を凝らすと、一つ際立った人影が見えた。 丈や姿形に特徴がある訳ではない。 そもそも、そんな違いが見分けられるような距離ではない。 何か光の様なものが見えたのだ。 (あれは…) 人から発せられる光など、滅多に見られない。 けれど、其れを持つ者を何人か見てきた。 嘗ての主の呂布や、今の君主の曹操がそうだ。 多分あれは孫権だろう。 総大将、いや、一国を統べる人間が最前線に出てくるとは。 知らず口許が笑みを浮かべていた。 張遼は馬首を返す。 孫権の目は碧いという。 間近で見てみたいと思った。 「殿、お止め下さい!」 呂蒙の声を無視して馬を歩かせた。 周りの兵が総大将の出現に驚き、姿勢を正している。 合肥の地を、敵の陣を見たくなったのだ。 遥かに視線をやると、一つ人影が見えた。 馬に乗ったその影は、此方を見つめている様に思えた。 あれは張遼ではないだろうか。 不意に浮上した閃きが形になる前に、その人影は見えなくなっていった。 「殿、危ないでしょうよ、あんまり心配させないで下さいって」 側に寄ってきた凌統が溜め息混じりに言う。 「悪いな、しかし一度目にしておきたかったのだ」 「判りますけどね、殿のお気持ちも」 「張遼がいた気がする」 呟くと、凌統が息を飲んだ気配がした。 凌統は、もう一度盛大に溜め息を吐いて頭を掻いた。 「…呂蒙殿が聞いたら卒倒しますね」 「全くだ」 凌統に促されて幕舎に戻る。 最後に一回、孫権は再び敵陣に目を向ける。 (あやつ…笑って居ったか) しかし、あまりにも突飛なその考えに、孫権は苦笑した。 背後に回って橋を落とし退路を絶った。 呉軍の混乱に乗じて少数で駆け抜ける。 孫権の所へと一直線に突き進む。 「我が名は張文遠、何処だ、孫権!」 叫びながら孫権を探していると光が見えた。 直感的にあそこだと思った。 守る様に群がっている兵を薙ぎ倒しながら突進する。 孫権が見えた。 「この張文遠がお命頂戴する」 孫権が剣を構えた。 怯むことなくこちらを見据えている。 孫権の目を見た。 空の様な碧をしていると思った。 今その目に映っているのは自分だけなのだと考えた瞬間、ふるえる様な歓喜が襲ってきて張遼は笑った。 見渡す限りの赤、只目に映る碧 エンド ++++++++++ 張遼と孫権でした、出会いというか意識というか あ、そんな、引かないで下さい!! 戻 |