大地に降り立ち燃え盛るは奮える龍 舞う龍を此の手にするは罪か 趙雲という名は幾度か耳にしていた。 それよりも、常山の趙子竜、と呼んだ方が、判りが良いだろうか。 様々な人物の元を転々と漂泊し、仕官を求められても、客将であり続けていた黒髪の青年は、劉備を己が主と定め、その側に付き従っている。 曹操が、何故劉備の元には良い人材が集まるのか、と嘆いていたのを聞いた。 才能ある人間を従えるのを好む曹操には、見目麗しい容貌と名高い武勇、類稀な胆力を持つ趙雲は、さぞかし魅力的に映っているに違いないと思う。 最近では諸葛亮という軍師も、劉備に三度住まいを訪ねられ、心を動かされて劉備の下に付いたのだという。 曹操の劉備への評価は、いまいち判りづらい。 しかしそれは周りがそう思うのであって、曹操の中では確固としたものなのかもしれない。 乱世の奸雄と渾名された曹操は、劉備に如何なる評を与えるのか。 徳の将軍、大徳様などという世間での呼び名を鵜呑みにしてはいるまい。 どんな気持で今曹操はいるのか。 逃げる劉備を追う曹操は、一体何を考えているのか。 そして今、趙雲を捕えよと命ずる曹操は、やはり乱世の奸雄と呼ぶに相応しいのかも知れない、と思った。 南下する曹操から、大勢の民を従えてゆっくりと逃げていく劉備を、最初正気かと思った。 どう考えても不利である。 それを証明する様に、殿軍は蹴散らされ、劉備は追い詰められた。 張飛の活躍もあって辛くも逃げ遂せた劉備だが、一家と逸れたらしい。 捕えれば有利と必死に捜索する中、彼は現れた。 白馬に跨り、幼子を抱えながら、敵陣を突破していく趙雲は、その名の如く龍だった。 戦場では命取りにもなる足手纏いをものともせず、敵を薙ぎ倒す。 見惚れるほどだった。 そのうち、蒐集家の血が騒ぎ出した曹操が叫んだ。 趙雲を捕えよ、と。 知らず、単騎で駆ける趙雲を追って駆け出していた。 手合わせしたいと、捕えるなら我が手でと、心が訴えていた。 「待て!」 馬を駆けさせながら叫ぶ。 振り返らない青年に追い抜き様、麒麟牙を打ち下ろした。 長槍がそれをかわす。 「止まれ!」 彼の前に遮る様に踊り出て馬を止めると、相手も手綱を引いた。 邪魔する者を睨み付けるその目は、眼力で人を射殺せそうな強さを持っている。 「趙雲、其所の赤子共々降参しろ」 「隻眼…貴方が夏侯惇将軍か」 「そうだ、逃げるか?」 表情を険しくして呟いた趙雲は、長槍を突き出すと挑む様に声を張り上げた。 「相手にとって不足なし、来い!」 「それでこそ常山の趙子竜よ!」 自然と口の端が上がるのを感じながら、言った次の瞬間には相手に目掛けて突進していた。 趙雲も長槍を構える。 叩き下ろす麒麟牙を払うのが精一杯か、という予想を覆して、趙雲は受け流した力を利用して、幾度も打ちかかってくる。 体も心も興奮に震えているのが判る。 真っ直ぐに自分だけを狙う目も気に入った。 長槍に払われるまま、数歩後退る。 麒麟牙を肩に担いで、息を荒げて此方を睨み身構える青年を半眼で眺めた。 趙雲の腕には、やはり赤子が抱かれている。 あんな、片腕に収まってしまう様なものの為に、無謀にも敵陣を単騎で駆け抜けているのだ。 興味がある、それと同時に何故か苛々としてくる。 敵愾心を剥き出しにする青年に、好奇心から問掛けた。 「劉備はそんなに好い男か」 「…?」 よもや問掛けられるとは思っていなかったのか、趙雲は怪訝そうに眉を顰めた。 真意を計りかねた様に無言で此方を窺う。 「其所の赤子の父親は、貴様の武を賭すに足るかと聞いている」 「でなければ此処にいない」 「…即答か」 問い直すとすぐさま返ってきた言葉は、青年の気質や心根を、そのまま言い表したようなものだった。 感心するが、やはり何とも言えない苛立ちが、霞の様に纏わりついている。 それを晴らすという訳ではないが、再び話しかけていた。 「孟徳も知りたがっていたが…関羽にしろ、貴様にしろ、劉備の何が良いんだ?」 「それは貴方と大差ない筈だ」 毅然と言い切った青年は、思いがけない表情を浮かべた。 思わず目を見開く。 「貴方が曹操殿に従っているのと同じ。あの方になら、私は全てを捧げて良いと思った、それだけのこと」 笑ったのだ。 この状況で、虚勢も衒いも無く笑う人間を見たことがない。 僅かに見せた表情は……美しかった。 しかしこの微笑の裏には劉備がいる。 そう考えると居た堪れなく、やりきれない。 一体自分は何を考えているのかと思う。 斬るべき相手に慕情を持ち、その主君に嫉妬をしているのか。 笑い草だ。 今すぐ奴を斬り捨てるべきだ。 いや、捕まえなければならないのか。 この龍を、捕えろというのか。 「孟徳に仕える気はないか」 「愚問だ」 「そうだろうな」 溜め息を吐いた。 趙雲は此方の様子に戸惑いながらも、気を張り巡らしている。 何故だか彼が眩しく見えた。 目を細めて見ると、焔でも見つめている様な錯覚に捕われる。 趙子竜、この青年は―――。 「貴様は…龍だな」 燃え盛る龍だ。 「何を…」 「行け、やる気が失せたわ」 「同情など」 「同情ではない」 どちらかと言われれば恋情だろう。 そんな事をこの青年に教えてやる気など毛頭ないが。 「早く行け、行かんと孟徳の前に突き出すぞ」 虫でも追い払う様に手を振ると、趙雲は警戒しているのだろう、視線は外さず、長槍は構えたまま、慎重に脇を通り、ある程度離れると馬を駆けさせた。 暫くその姿を見守ると、麒麟牙をゆっくり下ろす。 駆け出し様に頭を下げていた気もするが、気のせいかもしれない。 それより、反れることの終ぞなかった視線の方が気になったのだ。 人を惑わせること甚だしい。 若い訳でもないが、枯れたというには幾許か早い自分を、挑発でもしている様だった。 「あの様な男もいるのだな…」 無意識に溢れた言葉は、それ故に的を射ていた。 恐らくあの状態なら容易く彼を討ち取れた。 捕える事も不可能ではなかったろう。 しかし、そうせずに逃がしたのは、己の征服欲に従ったが故の結果だ。 龍は雁字絡めにするべきではない、等と考えた訳ではない。 逆だ。 悠々と駆ける龍を、この手で縛りつけたいという欲求が、抑え切れない程にある。 しかし、荷物を背負っている彼を屈服させても意味がない。 枷など何もない彼を、完膚なき迄に叩き伏せてこそ、征服欲を満たすことが出来る。 否、そうしなければ満足出来ないのだと思う。 彼はそう感じさせる人間だった。 「厄介なものだ…」 彼も、自分も。 次に相見える時は、今より更に手強くなっているだろうが、必ずこの手にしてやろう。 砂塵が舞い上がる無人の彼方を見やると、不意に心が奮えた。 燃える龍を縛り付けるは悪か エンド ++++++++++ マイナー上等、夏侯惇×趙雲。年甲斐もなく張り切るおっさんを許してあげてください(爆) 戻 |