―――――篝火の様に、いつかこの身も嫉妬に燃える日が来るのだろうか。 残夢・幕間 陳宮が一際大きな天幕に訪った時、中で待っているかと思われた天幕の主は不在だった。 果たして何処へ行ったのかと、入口に立つ見張り役の歩哨に聞いても、会議の後に一度戻ってきたきりだとしか解らなかった。 勝手に入る訳にも行かず、かと言ってだらだらと入り口で待つには、自分が身分も高く忙しい身である事は十二分に承知している。 ならば出直そうかと思って踵を返そうかと一瞬思ったものの、 しかし呂布はしっかりと歩哨に話を通しておいた様で、 「陳軍師殿がいらっしゃいましたら、中でお待ち下さいますよう、言付かっております」 と引き止められた。 特に断る理由もなく、一つ頷いて足を進める。 上官の為に塵埃に薄汚れた入口の布を捲って持つその兵士に、目礼しようとして顔を上げれば視線がかち合った。 相手の視線に含まれた物は呂布との関係に好奇心があると言わんばかりで、不敬極まり無いものであった。 しかし逆に妙に可笑しな心待ちで受け止めてしまい、特にその場で咎める事はなく小さな笑みを浮かべるだけに済ませた。 勿論、後で見張りの役は外させるとして。 「ふん、下世話な想像をしおって……」 幕内に入った後、背後で静かに下ろされた幕がゆらゆらと揺れている。 それを目の端で捉えながら、そう吐き捨ててやった。 すたすたと入って行き、勝手に呂布の寝台に腰掛けて待つ。 本当ならば失礼に当たるのだろうが、どうせ相手は呂布なのだ。 押し倒す手間が省けた、なんだお前も乗り気なのだな、と逆に喜びそうだから構いはするもんか。 「……、」 天幕の中は、昼間の喧騒が嘘のように静かであった。 分厚い陣幕に覆われて外の雑音が掻き消されるのもあったろうが、 主君の寝室の近くで騒ぐ馬鹿が居る訳もないから余計にひっそりとしている。 精々が篝火の爆ぜる音くらいである。 久しく無かった静寂さに我知らず、ふーっと長いため息を吐いてしまった。 ついでに『何故私がこのような目に』ともぼやいてみた。 とは言え、自慢では無いが好奇の目には慣れている。 と言うか納得していた。 見目麗しい小姓を女代わりに愛玩するなら兎も角、平凡な容姿でしかも自身よりも年を重ねた男を組み敷くなどと、 普通ならば狂気の沙汰としか言いようが無い。 私自身はさして閨事に執心している訳ではないし、あれこれ言える程浮き名があった訳ではないが、 その自分でさえ流石に自分の様な男を抱くよりは、若く美しい女や……せめて可愛い少年の方が遥かに良いのではないかと思う。 だから下手に同情や嫉妬の視線を向けられるよりかは、先程の歩哨の様な好奇心に満ちた視線の方が、大分理解が出来た。 多少男の自尊心が傷つけられるとしても、嫉妬を向けられて困惑しか出来ないよりは遙かに良い。 「嫉妬……か」 ぼそり、と呟く。 言いなれぬその単語が咥内で何か蟠(わだかま)っていた。 「だが好いた惚れたの嫉妬など若いのだ、所詮は」 とは言うものの、若いから嫉妬をするのだろうか、とも思うのである。 例えば張遼とは年が十以上違う。 だからこそ老いた自分には嫉妬などには縁がないのかと考えてもみたが、 陳宮と同じ年頃の高順から受ける妬みの視線(恐らく恋愛感情からではなく、 主君が古参の彼よりも新参者の陳宮を頼りにしているからだろうが)から考えると、年は関係がないのかも知れない。 ―――――では単に自分にはそういった感情が乏しいだけなのかも知れない。 ふむ、と頷いた。 確かに、己の人生を振り返ってみて、どうであったかと一生懸命に考えてみても、 その様に嫉妬にかられた事例をとんと思い出せなかった。 もしかしたら、これからそうなるかも知れないのだが、 しかし今嫉妬をしてみようとしても大変な労力が必要そうで、自分には到底出来そうにも無い。 第一、負の感情は往々にして心に強い力が必要なのだが、陳宮には夜の営み如きでそこまでの力を割く余裕はない。 「如何ともし難き天賦の才の方向に嫉妬するならまだしも……子を孕む女ではあるまいし……」 私が文に長け武に劣り、張将軍が武に長け文に劣るのを。各々持ち得ぬ才に憧れ、 嫉妬するならば兎も角、一夜の情けに一々悋気を起こすなど愚かとしか言えまい。 そもそも、己と……子がいればそれを含めて将来と命を守らねばならぬ女の様に、 全てから寵愛を独占する必要が男には無いのである。 ましてや、相手が呂布ならば尚更。 失礼ながら、やや野生動物的な我らが主君は嫉妬や何だと言う人間の生臭い感情には極度に疎く、 寵愛の多寡如きで人を量りはしない。 己の眼と肌(と言っても触れる云々ではなく嗅覚の様な感覚的なもの)で人を見るので、磨いた才を不当に評価する事はない。 彼も早く気付けば良いのだ。私は軍師、貴公は武将。殿の欲す所は違うのだから。 ―――――……あぁ、でも。 才を極め呂布という頂へと近付く事。 道が違う私には容易い事だけれど、鬼神と同じ道を辿る彼には酷く険しく遠い道のりに違いない。 だからこそ私を羨み嫉妬するのだろうが、同じ道を歩める事が如何に幸運かを気付いてはいないのだ。 「そもそも独占が在りうるのか? 否、否、そんな事はけして在り得ぬ。 鬼神を我ら人如きが独占出来はしないのだ。 出来るは傍にお仕えするのみで、」 そこで口を噤んだ。 外に主君の気配がしたのだ。 一瞬の間をおいて主君が幕を自ら乱暴に捲り上げて幕内に入ってくる。 「…これは、呂布殿。 まさかお待ちするとは思いませんでしたよ」 「あぁ…」 兵卒に嫌な視線を受けた腹いせも兼ねて、私は挨拶もそこそこに主君に嫌みをかましてみた。 もとより足らない脳みその男故に、嫌みが通じるとは欠片も思って無かったが、 案の定きょろきょろと狭い天幕の中を視線を動かすだけで別段突っかかるでもない。 「…どうなされた?」 しかし、些かその返答は上の空であった。 何かを探す様なその素振りも、私しかいない部屋では不審極まりないと言うもの。 「陳宮、誰と話していた?」 「誰も居やしませんよ。単なる独り言でございます」 鉾を置いた呂布が訝しげに目を眇める。 さては間男か間諜とでも引き込んだのかと言わんばかりの顔に、真面目な顔で返す。 寝台から立ち上がると、恐れもせずに呂布に近づき、軍装に手をかけた。 「邪推は無用。 私が呂布殿をたばかるとでもお思いなさるのか?」 「……悪かった」 小さく罰の悪そうに呂布が謝る。 もとより怒ってもいなかったのでそれに軽く肩を竦めるだけで応え、我ながら慣れた手付きで呂布の色鮮やかな鎧を外していく。 すると徐々に呂布の見事な体躯が現れてくる。 群雄犇めく中で、恐らくは呂布だけしか着こなせぬだろう鎧は重く大きい。 文官の身には持つだけで全身の筋肉が悲鳴を上げるその役目を、しかし私は嫌いではなかった。 己が主君の身体は文官の貧弱さとは違う雄々しさで、しがない軍師である自分の目には殊の外良く映る。 また、返り血や呂布自身の汗や体臭が渾然一体となっているのが、如何にも武人らしくて誇らしい気持ちになるのである。 ―――――これぞ、己が全てを賭けた無双の漢なのだと。 堅く結ばれた紐を解き、鎧をまた一つ外した。 まだ主の体温が残るそれを、抱きしめるようにして寝床の横に運ぶ傍ら、満ち足りた気分になって、ほう、とため息を吐いた。 「……食ってくれと言わんばかりだな」 「殿ッ」 鎧の一つ一つを整然と、明日も使い良いように並べていると、呂布が背後からのし掛かるようにして抱きしめてきた。 「何を申されるか!!」 「床で待っているわ、色っぽい溜め息は吐くわ……堅い事を言う割には乗り気ではないか」 そのまま持ち上げたかと思うと、呂布は床に胡座をかいた。 容易く身体は膝上にすっぽりと納まる。 早速衣の袷を割り、胸元を撫で回し始めた手に、じたじたと不恰好に逃げを打とうとするが、 呂布の逞しい腕が腹に回されて逃れる事は叶わなかった。 ―――――全く、先程まで殊勝だったくせに。 恨みがましげに後ろを睨んでみるも、呂布は飄々としたものだ。 挙句、耳朶や項を舌が這う始末。 ―――――考えるのは止めにしとくか。 どうせ、これから要るのは躰ばかり。 理性も智慧も必要無い。 ―――――ただ本能の赴くままに。 『あぁ、全く堕ちたものだ』と、溜息を吐くと『どうした、公台?』と無邪気な声が耳に吹き込まれた。 終 - - - - - - - - - - - - - - 無双5の呂陳っぷりに触発されて、新年初の更新+ひっさびさの呂陳です。 しかも幕間。 しかも陳宮一人称。(そこは重要?) しかし良いですね、良いですね無双5!! 何ですか、諸々のムービーのあの並び! あの距離! あの会話!(大興奮) 私の中では北方さんに次ぐ久々の公式ヒットでした! 陳宮が呂布殿を上手く?扱ってて、さては正妻兼小悪魔軍師かと思(切断) ……まぁ何はともあれ、そんな影響が出てしまったのが後半です。 陳宮は甲斐甲斐しく呂布殿の世話焼いてそうだなって。 お陰で堅物なくせに乙女な軍師になってしまったんですが……(痛) 08/01/25 ikuri 戻 |