―――――【 星合(後) 】―――――



 振り向けば、司馬昭は四阿の入り口に佇んでいた。 四阿は屋根と腰までの壁、壁の内側に作り付けの椅子しかなく、見通しが良い。 だが彼は一向に入ろうとはしなかった。腰掛けながら視線で司馬昭に入るよう促したが彼は動かない。
 その眼には警戒の色が見て取れた。 此処は曹丕の庭であるからであろう。 罠や伏兵が仕掛けられているかも知れないし、曹丕が凶器を隠し持っているかも解らない。 曹丕より上背も腕っ節もあるとは言え、敵地で誘われるがまま建物に足を踏み入れる程愚かではないようであった。
 だが、それらの危険性を理解しつつも、敢えて曹丕に近付く軽挙を犯した理由。 全てが兄の為とは何と麗しく涙ぐましい兄弟愛である事か。

「兄想いの弟よ。だが仕掛けてきたのは貴様の兄だ。私は貴様の兄にやり返してやっただけの事」

 司馬師は以前から…それこそまだ曹丕が司馬懿の主であった頃から曹丕の存在を良しとしなかった。 曹丕が父親の天下を阻む存在であり、愛執を向ける存在だと知っていたからであろう。
 司馬懿が謀反を起こして、彼は恐らく喜んだ筈だ。 偉大なる父が勝算を以て起こした謀反が成功しない筈はない。 成功すれば、その知勇故に傀儡に出来ない曹丕は処刑しなければならないだろう。 これで父親は曹丕という鎖から解き放たれ、自由になるのだ、と考えていただろうから。
 実際、司馬懿は征服者の慣わしと惰性で以て曹丕を処刑しようとした。 結局、司馬懿には曹丕を殺せなかったのだが。

「貴方は魏の皇帝だった。兄上が…否、誰しも貴方の存在を危険視し、敵意を抱くのは当然でしょう」
「『敵意』?」

 くつ、と喉奥で笑ったのを皮切りに曹丕は一頻り笑い続けた。

「何がおかしい」
「貴様の兄が抱いているのはそれだけではあるまい。 女子供のような下らぬ悋気だ。その様な私意を察せぬ程、暗愚では無かろうに」
「っ、」

 司馬昭の言葉が憤怒と羞恥だけではない何かに詰まる。 その反応は曹丕の指摘が、司馬昭自身も重々承知の事実なのだと伝えていた。

「『危険』、『危険』、『危険』…喧しい鳥が啼き叫ぶ様だ。 国で一番賢しい仲達さえ、私を『危険』などとは思っておらぬのに、周りだけが煩いのは何故だろうな?」

 睨みつけてくる司馬昭に小首を傾げて嘲笑する。
 司馬懿は、曹丕を後宮に籠めてから一度たりとて曹丕の前に武器を携える事はなかった。 それは情愛に目が眩んだ訳でも、曹丕に油断しているからではなく、曹丕が求める世と抱く想いを理解しているからに他ならない。
 対する司馬昭は暗闇から現れた時から、一定の距離を保っている。 彼は父親譲りの聡明さを持ってはいるが、その賢さ故に、父親の後宮に立ち入る時には太刀は履かずとて、 その着崩した衣服の何処かに何らかの武器を隠し持っているのだろう。
 司馬懿と他者のその様な差を見るに付け、司馬懿こそが理解者なのだと…否、共犯者なのだと実感し、 またその想いが等しくある事に胸に酩酊漢を伴う甘さが去来する。

「勘違いも甚だしい…私は誰の世になろうと構わぬ。私が求める世を成してくれるならば、私の世でなくても構わぬのだ」
「そんな戯言を信じると思いますか?」
「信じぬも何もそれが真実だ。私には今更、乱を起こす理由はない」

 薄く笑いながら、司馬昭の瞳を見据えた。 司馬昭もまた曹丕の真意を、或いは偽りを見つけ出そうとしているのか冷たく見返してくる。

「…貴方の求める世は一体何ですか?」
「仲達の子のくせに解らぬか」
「解りたくもないですね。どんなに崇高な世かは知りませんが、親の仇に足を開く程の価値があるとは到底思えませんから」

 司馬昭の視線は着崩された単衣に注がれ、覗く肌に流れている。 暗がり故、肌に刻まれている薄赤い鬱血が見えてはいないだろうが、 司馬昭と同じく先までの名残がそこかしこに感じられるのだろう。
 眉を顰めて軽蔑を露わにする彼の思う事は尤もな事だ。
 事実だけを見れば、曹丕は生きる為だけに親の仇に脚を開き、愛玩動物よろしく鎖で繋がれ飼われているように見える。
 決して己にそう言った意図は無いし、そう思ってもいないのだが、目の前の男には、それは分からないようであった。 もしくは、直視したくはないのかも知れないが。

「…まぁ、お子様には分からぬかも知れぬな」
「何だと!」

 冷ややかに嘲笑いながら、腰を上げる。 司馬昭の方へと歩を進めれば、彼が後退り、入り口から退いて道を開けた。

「…司馬昭、」

 僅か一歩まで詰め寄り、顎を掬い取る。 薄闇から突如差し伸べられた手を、何故か彼は跳ね退ける事はせず、 視線だけが咎める様に手から腕、腕から肩、肩から顔へとゆっくりと伝った。 最後に榛色の眼が曹丕のそれを見据えた。
 父親に似ず、逞しい体付きの司馬昭は二寸程背丈が勝っているせいか、 その視線も見下ろす様もまるで神か何かが人を見定める様な底深さと冷徹さを湛えていた。

「乱を起こさぬのは、仲達の世に満足しているからだ。 …だが、喩えお前達が私の求める世を成したとしても、お前達如きにこの身はやらぬ…司馬仲達こそ故よ」

 曹丕は笑った。 じわじわと理解した言葉の意味に、苦虫を噛み潰した如く相手の顔が歪むのが、可笑しかった。

「…貴方は…」

 引き結ばれて固まった唇が徐に薄く開く。 次に出る言葉は恐らく今宵の言葉の中で最も情緒めいた言葉に違いなかった。







- - - - - - - - - - - - - - 2011/10/10 ikuri(体育の丕!/違)
 丕様惚気のターン? 海石の懿丕では丕様がデレ率高いような気がします。
 あと、1タイトル2話?で終了です!(の前に記憶喪失丕が来そうな予感)
 長かった…とっくに機織終わっ(切断)

 因みにタイトルですが…昭丕でも丕昭の意味ではないですー…。(そう?)