『…処刑は取り止める。ここからお連れせよ』 『父上?!』 仲達が静かに命じた時、驚愕しどよめく群臣と困惑と焦燥にかられた司馬師達の為に処刑場は騒然となった。 『なりません、父上! 曹丕は曹魏の象徴、今殺さねば必ず乱を起こします!』 『―――起こしはせぬ』 『っ!』 殺せと至極真っ当な主張を口にする息子に仲達が視線をくれる事無く制した。 堅い声は誰をも黙らせる程に硬質で、皆を怖じつけさせる程に強張っていた。 『今、三国は我が手で完全に一つとなり、乱世は終わった。この方は民を苦しめてまで乱を起こさぬ』 『…仲達、』 眼の端を鉄爪が揺らめいた。何をと身構える間もなく、後ろ手に戒められていた手が不意に自由になり、だらりと脇にぶら下がった。 指先の感覚はない。 ただ、せき止められてた血が痺れを伴いながら通い始める感覚がある。 真意を問うように男を見上げれば、仲達は胸座を掴んだ手とは別の手で私の頬を撫でてきた。親指が血の垂れた口端を拭い、ぬらりと光っていた。 『さすれば、これはただの鳳凰…皇帝(わたし)が飼うに相応しい』 『…私を生かすのか』 『ええ、私が築く温い平穏の中で、貴方が死ぬまで大切に飼い殺して差し上げます…』 唇を仲達の紅い指先が緩慢になぞり、紅を引いた。 その仕草で、この男は嘗ての主を後宮に籠めるつもりなのだ、と悟る。 慰み者にするつもりはないのだろうが、数多の妻妾と同様に、二度と外に出る事は叶うまい。 …愚かな奴。 それは要らぬ火種を灯さぬ為であると同時に、この側近の執着と拙い独占欲の顕れであった。 しかし、その理さえも捨て置いたその愚かさに、押し殺した筈の昏い欲が頭を擡げる。 『お嫌ですか? ですが貴方に拒絶する権利はありませんよ』 眼を眇めた私に、仲達は拒絶と取ったのだろう。苦々しい表情で小さく嘲笑った。 至極当然の事だ。 至尊の地位に居た曹丕を引き摺り落としただけではなく、女や奴隷と等しい所まで貶めようとしているのだから。 距離があるため会話の細部まで聞こえはしないのだろうが、ざわりざわりと周囲が騒がしくなったのも、 潔く処刑した方が『魏帝』曹丕の最後の矜持を守れるのだと考える者達の動揺であり、哀れみと抗議の現れであった。 『…嫌ではない。仲達と共に、覇道の先に在れるのならば』 それでも、この男が危険も非難も全て承知の上で曹丕を生かそうとしたのであれば、彼に未練を残させた者として甘んじて受けねばならないのだろう。 承諾の意を口にすれば、男が信じられないと言わんばかりに目を見開いた。 その目の奥に訝る色と抑えきれぬ喜びが芽吹くのが分かる。その喜びは私の欲と同じ色をしていた。 『―――――ただし、』 『何です?』 『私は矜持を捨てた訳ではない。貴様が昏君に成り下がれば、私の手で討つ』 困惑と動揺に場がざわめき、幾らかの殺気が漂った。 取り分け彼の忠実な臣下…その中でも特に彼の長子が放つそれが肌を刺す。 けれど仲達は少し瞬いたかと思うと、満足げに微笑んで見せた。 『…嗚呼、それでいい。それでこそ私が認めた貴方だ』 喉元に刃、否、或いは死に至る劇薬か。曾ての私も仲達の存在を、身を律する為の存在とした。 僅かの怠惰も無能さも、民を導く者として、また彼を従える主として許されざる罪だったから。 彼もまた私という毒を、刃を飲むと言う。私が願って止まぬ覇道の先へ行く為に。 『貴方からの薄っぺらい服従など私は要らない…私は妾が欲しい訳でも奴隷が欲しい訳でもないのだから』 結局、私達は似た者同士だった。 そのことを私以外に唯一よく理解する彼はうっとりと紡ぐ。 『―――――ただ貴方は曹子桓として今のままで私の傍に在れば良い』 - - - - - - - - - - - - - - 2013/06/17 ikuri 今年の七夕までには終わらせたい…! しかしあれですね、5司馬懿伝、5曹丕伝は相変わらずジャスティス。(何) 依約(いやく)…たより結びつく。よく似ている。 …依存し合う似た者同士の懿丕イメージ。 戻 |