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 両に居並ぶ軍師達の静かな視線、主の傍に控える武将達の気迫。
 何れも天に聞こえる英傑揃いに囲まれ、その使者…荀ケはいつにない緊張を強いられていた。
 彼が小物という訳では決してない。 数多英雄の馳せる乱世にその名は名高く、また名将を揃える曹操軍の中でも随一と謳われる知謀、堂々たる見栄えに釣り合う度胸を持っていた。
 しかし今ばかりはその事実も霞んでしまう。何せ当世に名高い英傑に拝するのだ。 囁く声さえ聞こえぬ空間は、和睦を深める謁見であるにも拘わらず、至極重々しい。 厳かに先触れの声が告げられ、眼前の首座に君主が座すと周りが畏まるのもあり、場が更に鋭く引き締まる。

「…荀ケ殿、遠路遙々よくぞ参られました。お元気そうで何よりです。国を揚げて歓迎致しましょう」
「末臣に有り難きお言葉にございます。司馬大将軍におかれましても益々ご健勝のようで真、喜ばしゅうございます」

 男の声が極親しげであったせいか、奏上する声は流石に震えはしなかった。だが、大広間に空虚に響いているように思えた。

「ああ…、他人行儀な呼び方はお止め下さい…私の事はどうか昔のように仲達、と」
「勿体無いお言葉ですが、昔ならいざ知らず、今や国家の大事を預かる大将軍を」
「…っ、ちゅうたつ!」

 『呼び捨てるなど』と続けようとした荀ケの声は、どこからか叫ばれた声とぱたぱたと忙しなく近づく足音にかき消された。
 何事かと思い、非礼を承知で顔を上げれば、広間の側面に設えてある扉から、白絹の夜着に藍染めの上掛け姿の少年が走り出てきた。 誰が止める間もなく、あっと言う間に壇上に鎮座する軍の当主…司馬懿に飛びつくように抱き付いた。



- - - - - - - - - - - - - - 2011/02/20 ikuri