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 子供は温和しく瞼を閉じ、されるがままになっていた。 大人の大きな掌に頬を包まれ、目尻に口付けを受ける。唇が離れると僅かに瞼を震わして、その相貌が露わになった。

『…父上は、お仕事がありますから…』
「…ちゅうたつ、おしごと、だから…」
「ッ…!!」

 叫びそうになるのを荀ケ(いく)はどうにかこらえた。 言葉だけではなく喉元にぐっとせり上がる何かを堪えるのに必死になりながら、何故最初に気づけなかったのだと自問する。
 何故なら今、荀ケ(いく)が目にしているのは、今正しく思い浮かべていた主の次子、曹丕その人。 一年も前に死んでいる筈の子供であったからだ。 正に泉下から甦りでもしなければ、現世で見(まみ)える筈もない存在であったのである。

(何故…!!)

 有り得ない、と頭のどこかが否定する。しかし彼は間違い無く生きて「其処」に存在していた。
 凍るような悪寒に背筋が震え、両の足が戦慄いている。立っていたら間違い無く、くずおれていただろう。

(…実は、生きて、いた? …否、否、あの状況で生き残れる筈が…ではまさか幽鬼の類だと? 否! それこそ有り得ぬ!)

 曹丕は、戦場で消息を絶っていた…基、戦死していた。
 劉備軍に新野へ侵攻された際、父親の武将を逃がす為に一人残って僅かな手勢を率いて抵抗したのである。 それは命令ではなかった。 彼は、多くの兄弟の中でも一際、賢い…賢すぎる子供であったから、 きっと次男に過ぎぬ自分よりも父を支える名将を生かす方が良い、と理解していたのだろう。
 其処は死地であった。 孤立無援の上に寡兵では当然為す術もないまま、制圧されたそこには誰一人生き残った者も居らず、 敗残兵の一人すらも許昌へ戻っては来なかった。 曹丕もまた帰ってくる事はなかったのだ。





- - - - - - - - - - - - - - 2011/04/04 ikuri
実際ゲームでは楽進が船で逃亡し、丕様が新野に残って抵抗してました。