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 疑念が確信に代わり、居ても立ってもいられず声をあげていた。
 壇上の二人は、突如荀ケ(いく)が身を起こして取り乱した事に喫驚したらしく、 きょとりとした顔で見つめていたかと思うと顔を見合わせる。 ややもして少年…曹丕の方がちろりと視線を寄越し、おずおずと唇を開いた。

「…ちゅうたつ、あのひと、だれ…?」
「!?」

 曹丕の言葉に何かの冗談であろうと耳を疑った。曹丕が彼の父曹操の側近である荀ケ(いく)を知らない筈がないのだ。
 だが、怯えを含んだ眼差しは戸惑いげに司馬懿を見つめ、縋るように身を寄せる。 心細げに手が胸元の衣を握りしめ、幾つもの皺を作った。
 対照的に男は酷く落ち着いた様子で、長い袖の下に曹丕を包み込むように…或いは隠すように抱き寄せると、 乱れている黒髪を指先で直しながら撫でた。

「あの方は我が同盟国の御使者で荀ケ(いく)殿と仰る方だ。 とても立派な御方だから、子桓に危害を加える事はない。何も案ずる事はないよ」
「…でもなんで、しかんをみてるの?」
「子桓、」

 悲鳴のような尖った声を曹丕は発した。『見も知らぬ』荀ケ(いく)に恐惶を来す前触れなのだろう。 司馬懿もそうと感じているらしく、かたかたと震える曹丕を抱く腕を強め、視線をしっかりと合わせて言い聞かす。

「子桓は良い子だと評判だから、荀ケ(いく)殿もお気に留めていらっしゃったのだろう」
「ほんと…?」
「ああ、本当だとも。私が子桓に嘘を吐いた事が有ったか?」

 見つめる司馬懿の眼差しは慈愛に満ちていた。 甘く真摯な声音で囁いたせいもあるのだろうか、子供はぽうとした表情で、見とれているようにも見えた。








- - - - - - - - - - - - - - 2011/05/01 ikuri
気を抜くと仲達が詐欺師に見えて困ります。