2−10 「将軍のご趣味に御庭があるとは初耳でした…いずれその腕もまた中華に鳴り響きますでしょう」 「どうでしょう? 私自身にはあまりこういった事に興味が有りませんからな…雅事は不得手ですし」 苦笑と共に司馬懿は肩を竦めた。 確かに、戦も政も縦(ほしいまま)にし、名望も高い男の唯一の弱点が一切の雅事であるという噂は、 彼の完璧さも相俟って有名であった。 それらは立身出世には欠かせない物であるにも拘わらず、である。 しかし世の中は不公平なものだ。 司馬懿と同じように荀ケ(いく)も名家の出だったから、彼がそういった面に疎くても此処まで昇りつめた事など不思議には思わない。 名家にとって雅事など形式のような…司馬懿や荀ケ(いく)の様な貴族の出と、 寒門の出とを隔絶せんとする壁の様な物でしか無かったのだ。 (…持てる者の差なのだろう。) だからこそ荀ケ(いく)の主である曹操は宦官の家系と言う恥を払拭し、 己が誇りを守る為に詩や楽、ありとあらゆる貴族の雅事に励んだ。 覇道を遮る壁を取り払い、貴族を超越せんとする為に。 その熱意は息子達にまで及んだ。曹操は彼らが幼い内から文人を数多呼び、学ばせたのである。 今では、曹操、曹植…そして嘗ては曹丕も幼いながら文学の中心にあり、華やかな文化と文壇を築いていた。 だが、もし、血と言う名の肩書きさえあれば、その様な苦労はなかったろうに。 「…しかし、結構な腐心をされたように思えますが」 「腐心…ああ、確かに私が出来得る限りの事をしましたが」 苦労を思い出したのか、男が目を細めて苦笑った。 枝の振り方、岩の置き方、色付くもの全ての色合い。 少しでも違えれば庭の価値は下がってしまう。 恐らくは一流の職人達を雇い入れ、細心の注意を払って作り上げたのだろう事は容易に知れた。 - - - - - - - - - - - - - - 2011/12/12 ikuri 丕様の文学マニアっぷりはおそその影響。 おそその文学マニアっぷりは、趣味と実益と寒門出故のコンプレックス解消の手段…って論文で見ました。 多芸多趣味の中国のレ○ナルド=ダ○ィンチって書かれているのもどこかで見たけど…どこだったっけ…。 戻 |