2−17



「…さ、子桓、お腹が空いたろう? 弓は後にして点心の時間にしようか」
「…ちゅうたつも、いっしょ…?」

 司馬懿の腕の中で曹丕は可愛らしく小首を傾げて見つめる。舌足らずを増した物言いは彼の不安と寂しさ故なのだろう。
 だが、それを余す所なく汲み取った司馬懿が肯うように頬を撫でれば、くすぐったいと子供は無邪気な笑い声を立てた。
 それは、此処を訪れて以来…否、子供が『曹丕』であった頃にも見せた事のない心の底からの笑いであった。

「ああ、勿論だとも」
「ほんと? ちゅうたつ、だいすき!」

 子供が喜びに溢れながら首元に更に強く抱き付いた。 抱きつかれた男もその背を撫で、取り残された使者の前で子供の一途な瞳を独占しながら微笑む。 象る唇は至玉を得た勝利の笑みを刻んでいた。

「荀ケ(いく)殿も宜しければ是非。洛陽一の厨宰(ちゅうさい)が拵えたので、味は保証致しますよ」
「…有難うございます。御迷惑でなければ御言葉に甘えさせて頂きましょう」
「良かった。食卓は賑やかな方が良いですから」

 にっこりと司馬懿が微笑んだ。しかし、それも束の間で彼はすぐに曹丕へと意識を戻す。

「…叔達、荀ケ(いく)殿を先にご案内申し上げなさい。私は子桓に手当てと着替えをさせてから向かう」
「畏まりました。…それでは、荀ケ(いく)様、参りましょう」
「…ええ、お願いします」

 司馬孚に促がされ、司馬懿達に一礼をして背を向ける。 今度は張コウが護衛を務めるようで、司馬懿の傍に…偶然か故意なのかは分からないが丁度、 司馬懿と曹丕から荀ケ(いく)を遮る位置に控えたのがちらりと見えた。

「てあて? ちゅうたつが、してくれるの?」
「勿論。私では嫌か?」
「ううん、ちゅうたつがいい…」

 背後では荀ケ(いく)の存在などもう忘れたかのように、くすくすと笑い声を交えながら、子供が蜜のように甘い声で囁いていた。



―――――その甘さは、親愛よりも尚深く、しかし情愛などよりも遙かに清いような、不思議な濃密さであった。










- - - - - - - - - - - - - - 2012/02/27 ikuri
 これで2章完です。丕様の依存度と仲達の執着度が…すみません(ぇ)
 ちなみに最終行の棒線入れる前、丁度801字だったのは何かの啓示でしょうか…(死)