3−10 さあ、と声は促す。不思議な事に『侵入者』たる荀ケ(いく)が入らなくて済むように兵にでも取りに行かせるかと思ったのだが、 一瞬悩む素振りを見せた張コウは兵を房室から一歩控えさせ、自らもまた戸口の脇に退き荀ケ(いく)に道を開けた。 「では、お言葉に甘えて有り難く…」 戸口をくぐり、灯りに照らされた卓に近づいた。踏み入れた途端、品良い香が仄かに漂う。 暖かみのある柔らかな香りは、幾つかの香木を簡単に合わせただけのごく一般的な芳香だ。 荀ケ(いく)もどこかで嗅いだことのある物であったが、それを用いる人柄がよく現れている。 さぞ温厚で良き人柄なのだろうと、優しく撫でる彼の手に視線を遣れば、膝元には予想よりも大きな子供が安らかな寝息を立てて眠り込んでいた。 はっ、と荀ケ(いく)は息を飲む。背を丸くして横たわるその躰…特にその手に巻かれた新しい包帯…に見覚えがあったのだ。 「…どうなさいました?」 訪問者が不自然に立ち止まったのを、男は不思議に思ったようである。 渡そうとしていた燭台を手に持つとそっと持ち上げ近づけてきた。 橙の焔がお互いの間に来ると、震えた手がゆらりとまた焔を揺らがせ、互いに目を丸くする姿を著く浮かび上がらせた。 「…荀ケ(いく)様…!」 「長文…」 書簡が幾つか解かれて床に転がっている。その中心には、数年前に生き別れた娘婿が子供の枕に膝を貸し、思いもかけない再会に瞠目していた。 荀ケ(いく)もまた、よもや夢幻かと目の前の姿に只々喫驚した。この軍を訪ねてから驚く事ばかりであった。 - - - - - - - - - - - - - - 2012/06/04 ikuri 長文=陳羣殿。(史実で丕様の親友かつ能臣。) 戻 |