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 言葉が続けられなくなった唇は噛み締められたが、それでも声を妨げた戦慄きは止められない。 頬に幾筋も伝い墜ちた滴が荀ケ(いく)の目の前でちらちらと灯に染まった。炎の朱に染まったそれは、まるで彼の血涙のようで荀ケ(いく)の肝が冷えた。
 陳羣は止まらぬ涙を袖の下に隠していたが、その嘆きは深く、幾筋も零れ落ちていき、ぽつぽつと子供の頬に滴った。

「…ぅ」
「子桓様?」

 大粒の雫は十分な刺激になったのだろうか。流石に違和感を覚えたらしく、子供が包帯の残る手でくしくしと眼を擦りながら、緩慢に身を起こした。
 ふと仰いだ傳役が珍しく…と言っても普通の大人でも滅多にないが…泣いている事に、子供は驚きと不思議さに瞬いた。

「…ちょうぶんしふ、ないてる? どこか、いたいのか…?」
「……大丈夫ですよ、有難うございます」

 陳羣は、寝起きでくしゃくしゃの前髪を指先で直し、夜着の袷を正してやりながら涙の残る顔でそっと笑みを浮かべた。

「…ほんと?」
「ええ、本当ですよ。…久しぶりに知り合いに会えたので嬉しくて」
「…しりあい…?」

 子供はきょとりとした。覚醒から間もない為か発した言葉は更に稚く見える。

「ほら、彼方にいらっしゃいますよ。…荀ケ(いく)様にはもう子桓様もお会いしたのでしょう?」
「、っ」

 第三者である荀ケ(いく)の存在に気付いた子供が、ぎくり、と薄闇でも分かる程に身を強ばらせた。
 驚きと恐怖に、ひゅ、と息を飲み、放っておけば恐慌状態に陥りかねない曹丕を、陳羣は慣れた様子で膝上に引き寄せ穏やかな声で宥める。
 だが曹丕はその手にさえ怯えて抗った。











- - - - - - - - - - - - - - 2012/08/14 ikuri
 このシリーズでは、仲達>陳羣殿、張コウ、トウ艾=>伯達兄上、叔達で子丕様を宥めるスキル(と丕の信頼)があります。