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 今頃は洛陽の城外辺りだろう。宴の始まる前に早馬を出せたので、十日もあれば届く筈だ。
 文の内容は、曹丕が司馬懿に助けられて生きていた事。荀ケ(いく)の事も分からぬ程に記憶を無くし、幼子に戻ってしまっている事。 司馬懿が曹丕を我が子に対する以上に寵愛している事…を綴った。
 だがそこに『曹丕を連れ帰る』との言葉は、ついぞ書けなかった。曹操がこの事をどう捉えるかが分からぬ以上、荀ケ(いく)が連れ帰りたいと訴える事は出来ないからであった。
 それ故、『願わくば、暫しの滞在をお許し願いたい』との旨を最後に記した。
 これだけで、敏い曹操は察するだろう。荀ケ(いく)が曹操に曹丕の処遇について返答を求めている事を。

「…荀ケ(いく)様は、子桓様を連れ帰りたいのですね」
「…ええ、その通りです」
「連れ帰る意味があるのですか? 子桓様は『死んだ』事にされたのでしょうに…」

 陳羣は荀ケ(いく)の肯いに間髪入れず言葉を継いだ。 皮肉げに響いた言葉は、陳羣もまた曹丕を『亡き者』にした処遇を… 既に曹操軍では曹丕を名誉の戦死と公表し、遺体もない形ばかりのささやかすぎる葬式を執り行っていたことを知っているからであろう。

「…やはり、ご協力は願えませぬか?」
「私は子桓様の為になら協力を惜しみません。 …しかし、以前の子桓様ならばまだしも、あの状態の子桓様を連れ帰ってどうなるというのですか? 以前のように息子の一人として温かく迎え入れるとでも?」










- - - - - - - - - - - - - - 2013/02/18 ikuri
 実はグレ羣もいいなとか思ったり。
 長文殿はお育ちがいいから汚い言葉は使わないけど、その分辛辣だとイイ。
 (そういえば史実では郭嘉の素行(悪行?)をズバズバ指摘しまくってましたね)