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 温厚な彼にしては珍しく苛立たしげな声が甘い展望を侮蔑するように吐き捨てる。
 
「乱世にそのような余裕など何処にもありもしませぬ。手痛い敗戦を象徴する壊れた庶子など、良くて静養だと理由を付けて屋敷に軟禁するか、最悪秘密裏に処分なさるしか有りませぬでしょう?」

 酒だろうか、悲しみだろうか。それとも怒りだろうか。彼の目元はとうに赤く、指先は震えている。また陳羣が何回目かの杯を呷った。

「…では、司馬懿殿は、曹丕様をどうなさるおつもりなのですか?」

 教育を施し、武芸を仕込み、美しく着飾らせ、惜しみない愛情を注いで。
 ただの愛玩や愛妾ならば着飾らせ、愛でるだけで良い。 優秀な臣下が欲しいなら過度の装飾も愛情も不要だ。 では彼は『誰』を作ろうとしているのか?

「正確な所は仲達殿にお聞きせねばなりますまい…ただ、」
「…ただ?」

 そっと視線が下げられる。一滴も残らぬ杯の底に何か大事な物でも写っているかの如く、ただ見つめていた。

「ただ、仲達殿は子桓様をこよなく愛し、慈しんでおります…必ずや子桓様に何不自由ない幸せな生涯をお約束して下さりましょう…仲達殿にはそれだけの力があるのですから」

 顔を上げた陳羣は、杯を静かに置いて荀ケ(いく)を見つめた。

「だから私は此処にいるのですよ」

 あちらへ戻らずに、ね。
 驚きに目を見開いた荀ケ(いく)に、彼は静かに微笑んで見せた。










- - - - - - - - - - - - - - 2013/02/24 ikuri
 4章終わりです。
 ここまでで2年…今年はもっと早く進めるように頑張ります。(しかし前科あり)
 気が向いたら支部にうpします。