※オフラインで発行しました、「水潦恋着」設定です(曹丕と司馬懿が三歳差)







その日―――
曹丕は病床にいた。
感冒が拗れて、病状が悪化していたのである。
咳が酷く、熱もある。
もう数日食事を摂っていなかった。
家臣たちはざわざわと落ち着かない様子でいるが、曹丕自身はそれほど焦ってはいない。
ただ一つの心残りを除いては。
咳が出た。
喉が痛む。
何時もの咳と違うと、思考の片隅で思う。
顔を顰めながら、それでも止まらぬ咳に辟易していると、忽ち血相を変えて側近が駆け寄って来た。

「子桓様!」

「仲、達…」

悲愴な顔の側近の名を呼ぶ。
三つ年下の「阿懿」もすっかり大人になっていた。

「子桓様、苦しいですか?」

「…大事、ない」

側に跪き、顔を覗き込む相手に答えるが、その表情は曇ったままである。
己は余程酷い顔をしているらしいと思うと、苦笑が溢れた。

「子桓様…」

不安げな声に返事をしようとすると、再度咳き込む。
苦しみが通り過ぎるのを待つ。

「今、典医を」

「呼ばずとも、良い」

側で戸惑っていた司馬懿が立ち上がろうとするのを制止する。
医師を呼んだところで咳は止まらない。
無駄に時間を費やすより、大事なことがあった。
痩せ痩けた手で司馬懿の手を取る。
司馬懿は嫌がる素振りも見せず、握り返して来た。

「私は、お前に謝罪せねばならぬ」

「……何を仰有います」

困惑したように声を震わせる司馬懿に、曹丕は思いを告げる。

「昔、お前を酷く突き放して、後悔をした」

そんな自分を司馬懿は受け入れてくれた。

「その時、決めたのだ、もしももう一度、お前が私の元へ来たならば二度と一人にせぬと」

それからは愛し、時に判り合えずとも決して突き放しはしなかった。

「しかし、またお前の手を離さねばならぬ時が来てしまった」

「何を仰有います…!」

己はもう長くはないとわかっている。
国は安定し、家臣にも子にも後事を託すことに不安はない。
だが、司馬懿を遺して逝くこと。
それだけが心残りである。

「すまぬ、お前は健やかに生きるが良い…」

「いやぁ…いやです…」

司馬懿の目に涙が浮かぶ。
その様子はまるっきり、幼い頃の泣き顔と同じだった。
その昔してやったように、涙を拭う。
いやいやと首を振る司馬懿に、曹丕は不自由な身を起こして、その眦に口付ける。

「泣くな、お前に泣かれると、困る…」

「そうひさま…」

潤んだ目で司馬懿が曹丕を見つめる。
優しく微笑んで、曹丕は優しく告げる。

「…愛している、仲達……阿懿」

「わ、わたしも、あいしてます…っ」

拙い愛の告白に愛しさが溢れる。
一つ頷くと、急に苦しさを抑えられなくなった。
止まっていた咳がぶり返す。
司馬懿に縋り、その時をやり過ごしながら、司馬懿が医師を呼ぶ声を聞いた。

その日。嫡男の曹叡を側近らに託し、曹丕は崩御した。
黄初七年、五月十七日のことである。








エンド







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曹丕の命日に寄せて。一人でネタバレしつつ死にネタというどうしようもない話ですみません