とある暑い日のことである。 夏期休業中にも関わらず、学校に用事のあった曹丕は律儀にも制服を着用して登校していた。 朝早くから励んだ甲斐あって、昼には用事も無事終了し、帰路につく。 雲一つない青い空を見ながら歩く。 強い日差しが降り注ぐこの季節は、曹丕にとって地獄だ。 暑い、蒸し暑い、兎に角暑い。 表面上は涼しい顔で歩いている曹丕だが、今にもその場に倒れ込んでしまいたい程、消耗していた。 今頭の中にあるのは、クーラーのある部屋に行きたい、それだけだ。 自宅に帰ればクーラーが効いている。 その希望を胸に、陽炎の揺れる拷問のようなアスファルトの道を急いだ。 部屋から流れ出てきた涼しい空気に曹丕はほっと息を吐いた。 灼熱の外とはうってかわって涼しいエントランスから部屋に来るまでに大分汗は引いていたが自宅に着いた、という安堵感が曹丕の体を弛緩させる。 ひんやりした玄関に入り、靴を脱ぐ。 普段はきちんと揃えるそれもそのままに廊下を進み、リビングへと続く扉に開けた。 「ああ、おかえりなさい、子桓さん」 「ああ、ただい…ま?」 すぐに聞こえて来たのは同居人の声。 それに返事をしながら声のする方へ顔を向けて、曹丕は固まった。 リビングに置かれたダイニングテーブルの上を占拠するものを目にして、言葉を失ったためだ。 「仲達…何をしている」 その場に立ち尽くす曹丕が何とか疑問の言葉を投げ掛けると、同居人…司馬懿は楽しげに答えた。 「見ての通りですが?」 「では質問を変える…何故かき氷を作っている」 そんな機械まで持ち出して、と司馬懿の手元に目を向けた。 そこにあるのは愛らしいペンギンを模した、よくある子供向けのかき氷製造機だった。 しかも曹丕には微かに見覚えのある品だ。 記憶違いでなければそれは、実際に幼い頃に使用していたもので、今更こんなものを持ち出す意味も、未だに綺麗なまま保管している酔狂さも、曹丕の思考の範疇外である。 呆れた様子の曹丕に司馬懿は苦笑する。 「いえ、これを読んでおりましたら、無性に懐かしくなりまして」 そういって傍らにおいていたらしい古ぼけたノートを愛しげに指でなぞった。 曹丕は現状の原因とも呼べるそれを良く見ようとテーブルに近付き、そして今度はまさしく硬直した。 ぴきり、と漫画のような擬音が聞こえてきそうなほどに。 次の瞬間、拳を握り締める。 体がわなわなと震えるのがわかる。 そんな曹丕に気付いているのか、司馬懿はご機嫌な様子でノートを手に取り捲り出した。 「少し暇だったので整理をしていたのですが、まさかこんな掘り出し物に巡り合えるとは」 ほら、覚えていますか、と目の前に開かれたページ。 そのいかにも習いたてと言わんばかりの字で書かれた文章を強制的に視界に入れられ、曹丕はとうとう我慢出来なくなった。 「当たり前だ、私が書いた日記だ!随分前に捨てたのにどこから拾ってきたのだ!」 怒鳴り散らしてノートに手を伸ばす。 しかしそれは司馬懿によって頭上高くへ掲げられてしまった。 幼い頃、夏休みの宿題として書かされていた日記。 成長してから見たそれは内容も文章もあまりにも恥ずかしくて居たたまれなくて、早々に廃棄処分したはずだったのに。 「今すぐ捨てろ!」 「捨てるなど勿体ない。子桓様の成長の記録として大事に保管させていただいておりましたし、これからも保管いたします」 「この馬鹿…!」 顔を赤くして罵る曹丕に臆した様子もなく司馬懿は堂々と言いのける。 このまま争っても司馬懿は決して首を縦には振らないだろう。 それを痛い程に知っている曹丕は一先ず落ち着こうと椅子に腰掛けた。 後で絶対捨てると決意して。 「…で、懐かしくなって、お前はこんなものを引っ張り出してまでかき氷が食べたくなったとでも言うのか?」 「いいえ、日記にこれを使ってかき氷を作った時のことが書いてありまして」 その時のことは曹丕も何となく覚えている。 ある日何の前触れもなくかき氷器を買ってきた司馬懿が氷を削るのをずっと見ていた記憶がある。 さらさらできらきらとした氷の粒が器を満たしていくのを飽きもせずに。 幼い子供にとってそれは未知で、無条件に惹かれるものだったのだろう。 日記に書いてしまう程に。 「あの時の子桓さんは本当に愛らしくって。氷を削り続けて腕が動かなくなっても悔いはないと思ったものです」 「…今は愛らしくなくて悪かったな」 しみじみと言う司馬懿に曹丕は心底馬鹿にした視線を向け、呟く。 この短い時間でどれだけ馬鹿だと思ったことだろう。 曹丕のこととなると見境がなくなるのは、まあ、嫌ではないが、限度がある。 何とかならないものかと何度目かの溜め息を吐いた時、司馬懿と目が合った。 その顔はなんというか、嬉しそうににやけている。 先ほどまでの緩んだ表情ともまた違う。 一体なんだ、と曹丕が眉を顰めていると。 「心配なさらずとも、今の子桓さんも可愛らしいですよ」 したり顔で司馬懿が笑う。 その言葉の意味を噛み締めて、曹丕は不快そうに眉間の皺を深くした。 「そういう意味で言ったんじゃない」 「まあまあ、照れないで」 照れていない、と言おうとして、やめた。 押し問答に勝った試しなどない。 それに、司馬懿が深読みしたような気持ちが欠片もなかったと言えば、嘘になるだろうから。 「さて、かき氷、何味がいいですか?」 「宇治金時」 「……」 八月も終わろうとしているとある暑い日の話。 エンド ++++++++++ …八月には間に合いませんでした なんていうか、取り留めのない文章で申し訳ない おまけのイラストあり→ 戻 |