海彼












「仲達、暑い」

ぐでっと机に突っ伏した曹丕が、側に控えている司馬懿に力なく言う。
魏は、というか中華は、現在夏真っ盛りである。
しかも例年より暑い日が続いており、国中が暑さに参ってしまっている。
例に漏れず死に体の曹丕の言葉に、司馬懿は涼しげな顔で返事をした。

「暑いですね」

「嘘をつけ、お前汗をかいておらんぞ、人間ではあるまい」

全く暑そうな様子など見せない司馬懿に、曹丕が文句を言う。
それでなくとも嫌味に見える表情が更に憎たらしく見えるのだ。

「子桓様が着込み過ぎなのですよ、せめてその暑っ苦しいマントだけでもお脱ぎなさい」

しかし、ほぼ連日こうして愚痴に付き合っているからか、司馬懿は曹丕の台詞に怒ることもない。
それどころか、暑いと言いながら衣装をきっちり身に纏う曹丕に嫌味を返したりする辺り、司馬懿らしい。
だが曹丕は首を横に振るばかりだ。

「それは駄目だ、これだけは脱げん、かといって他の物を脱いだら変だ」

「良く判らぬ拘りですが、ならば暑いなどと仰有いますな」

不条理だらけの曹丕に対し、司馬懿の言は全て正論だ。
しかしそのままにしておく司馬懿は、職務怠慢か職場放棄か生徒溺愛か。

「しかし暑い、今年の暑さは異常だ」

今度は顔まで伏せて、曹丕は懲りずに独り言のように言う。
弱りきった主を宥めるよう、司馬懿も同意する。

「まあ、それも言えておりますな、しかし南よりはましでしょう、彼方は多湿ゆえ」

「南など知らん…これでは政務に支障がでるぞ」

側近の微妙な慰めを却下しつつ、曹丕は泣き言を言いながらも体を起こした。
執務をやる気になったらしく筆を取る曹丕に、司馬懿は細やかながら黒羽扇で風を送ってやる。
何だかんだ言って曹丕が可愛くて仕方ないのだ。
暫くは静かな時が過ぎる。
とはいえ日射しは容赦なく照っており、室内の温度も上がり続けている。
とうとう我慢ならなくなったらしい曹丕が、執務の姿勢を保ったまま口を開いた。

「……仲達」

神妙な顔付きをしてはいるが、こういう時の曹丕はろくでもないと、司馬懿は知っている。
それでも一応聞いてあげないと拗ねるので、司馬懿は問うた。

「何ですか」

「海の向こうの国にはちゅうぺっとなる氷菓があるらしい」

そしてやはり曹丕が言ったのは、何とも言い難いことだった。
ちゅうぺっと。
それは魅惑の氷菓子。
あんな安っぽいものが何故あんなに旨いのか。
夏はあれを食べないと終わらない、そんな気分になる気がする未来のお菓子だ。

「残念ながら用意するのは無理です」

曹丕の言葉を、司馬懿は丁重に否定する。
とりあえず、ない。

「仲達…俺は食べたいのだ…!」

「石田三成の真似をしても無理なものは無理です」

合作作品で仲良くなった三成の必殺技を拝借する曹丕を淡々と両断する。
曹丕がむう、と唸り、恨みがましい視線を司馬懿へ向ける。
と、廊下が急にざわざわとし始めた。
何事か、と思う間もなく元凶が室内に飛び込んで来た。

「子桓!」

「これは丞相、ご機嫌麗しゅう」

「おお、司馬懿もおったか、ご苦労」

声高に現れたのは曹操だ。
突然の登場だが、特に驚くこともなく、司馬懿は頭を下げる。
しかし息子の曹丕はだるそうに口を開いた。

「…父よ、この暑いのに熱く登場されるとは何事か」

鬱陶しそうに聞く曹丕に曹操はにやりと笑うと、待っていたとばかり、
侍従に持たせていた箱を差し出し、中身を見せた。
そこには氷が敷き詰められ、彩りも鮮やかな棒が涼しげな冷気を発しながら並べられていた。

「差し入れじゃ!ちゅうぺっとなる氷菓ぞ!」

箱の中の物体を見つけ、その言葉を聞いた瞬間、曹丕の目がきらりと光る。
素早く歩み出ると礼をし、言った。

「ご足労感謝致します、葡萄味を下さい」

明らかにちゅうぺっと目当ての豹変っぷりに気を害することもなく(多分珍しいものが手にはいって上機嫌なのだ)
曹操は紫色の棒を取り出し曹丕に与えた。

「うむ、暑いが仕事に励むよう!」

更には司馬懿に白い色のちゅうぺっとを渡す。
そして一言残すと部屋を出ていった。
おそらく城中の者に配っているのだろう。
嵐の様に去っていった曹操に溜め息をついて、司馬懿は曹丕を見た。
曹丕は手の中のものをしげしげと観察している。
まるで子供だ。

「ようございましたね、子桓様」

「ああ…しかし、どうやって食べるのだ?」

食べ方が判らずそのまま齧りそうな勢いの曹丕に、司馬懿はどこかで聞いた方法を教える。

「中央が括れているでしょう、其処で二つに折るのですよ」

「こうか…」

ぽきん、と小気味良い音を立てて、紫色のそれが二つに分かれる。
曹丕は既に溶け始めている片方を口に銜えた。
ちゅうっと吸い上げると曹丕の目が見開かれる。

「これは美味いぞ」

「それは何よりです」

口を離して興奮したように言う曹丕に、司馬懿も微笑む。
かじかじと氷を噛み、溶けた汁を吸う姿は本当に幸せそうだ。

「仲達は食わぬのか」

不意に、食すのに夢中になっていると思っていた曹丕が問うてきた。
指摘され、手の中の物体が自分に与えられたものであると思い出す。

「…折角ですから」

甘いものはそれほど好きでもないが、貴重品ということで、司馬懿も曹丕と同じく棒を割り、軽く口をつけた。
途端に広がる、どう贔屓目に見ても自然でない甘い味は、どうやら林檎らしかった。
一気に眉を顰め、司馬懿は曹丕に提案する。

「半分、食べては頂けませんか…私には些か甘いようで」

「確かに、お前には辛いやもな」

にやにやと笑う曹丕に、口をつけていない片方を差し出す。
しかし曹丕は。

「そちらを寄越せ」

「…は?此方は口を付けてしまいましたが…」

「構わん、そっちの、下に突起のついたやつがいい」

「はあ…」

おそらく、そこを切って吸う為の出っ張りのついた半分を所望する。
良く判らん、と思いながら、殆ど掌の熱で液状化した物体をどうするかと思案しつつ、
旨そうにちゅうぺっとを平らげていく曹丕を見守る司馬懿だった。












エンド







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二文字御題から「海彼」
去年中国でチューペット大流行とか言うニュースを見たので(去年?)