■12月 桐



この世のものとも思えぬ、奇怪な生き物が空を飛んでいる。
鳥のような蛇のような亀のような魚のような、鳥のような。
水を飲んで、木の実を食べて、木の上に止まったその生き物が、じっとこちらを見る。
その無垢な目を見て、私は。



魏軍に属する人々は、鳳凰の意匠を好んで用いる。
瑞祥として知られるその鳥をあしらうことで、許都に迎えた天子を寿ぐためか、他の意図があるのか。
その真意は不明だが、青、鳳凰と言えば、曹魏の象徴であると、誰しもが答えるだろう。
司馬懿自身は彼らとは異なる色を基調としているが、彼の主は勿論、目の覚めるような青の衣装を身に纏っている。
いたるところに施された鳳凰の刺繍も、威厳ある姿を際立たせていた。
それは、人に諂うことをしない司馬懿ですら、認めざるを得ない事実。

(あの方に、相応しい)

純粋な感嘆の言葉だが、口にしたことはない。
きっと主に告げたとしても、笑われるだけだ。
主は―――曹子桓いう男は、そういう人だ。
後ろに付き従いながら、思う。
彼の人は長い回廊を真っ直ぐ、淀みなく歩く。
浅はかな言葉など歯牙にもかけない。
彼に届くのは、真実の言葉だけなのだろう。

「仲達」

いつの間にか立ち止まっていた曹丕が、外を見ていた。
名を呼ばれ、頭を下げる。

「はい、何でしょうか」

「あの木を何というか知っているか」

す、と伸ばされたしなやかな腕の先、すらりと長い指が窓の向こう側を示す。
誘われるがままに指差された方を見れば、そこには何かの木が立っている。
青々とした葉に、珍しい緑がかった樹皮。

「梧桐、ですか」

「そうだ、よく知っていたな」

意外だったのだろうか、目を細めて悪戯っぽく笑う主の姿は、時折見られるものだった。
物珍しいものではあるが、司馬懿を揶揄うようなそれは、少し苦手だ。

「…それは、知識としては存じておりますので」

憮然として返せば、くく、と喉を鳴らす曹丕に、ますます心がざわつく。
それを抑え付けながら、問い返す。

「あの木が、どうかいたしましたか」

「鳳凰を知っているか?」

「―――ええ」

しかし、返ってきたのは、質問の答えには程遠い、逆にこちらに問いかけるものだった。
ひくり、と頬が引き攣るが、何とか肯定のみ返す。
そんな司馬懿の葛藤を知ってか知らずか、曹丕は更に続ける。

「では、見たことは?」

「鳳凰を…ですか?」

その言葉に、思わず眉を顰める。
司馬懿の知るその生き物は、空想上のものでしかない。
書物でしかその存在を見たことがない。
姿形など、様々な動物を継ぎ接ぎしたような外見で、凡そこの世のものとは思えない単語の羅列だ。
実在しているかのような記述であるのに、現実感がない。

(そんなものは、いない)

曹丕とて、本当にいるなどとは思っていないだろうに、何故そのような戯言を言うのだろうか。

「舜帝や周の文王は鳳凰を見たというではないか」

「それは」

後世の作り話だ。
禅譲を迫る時、相応しくないものを貶す時の常套句である。

(この方は、いったい何を)

主の意図を汲もうにも、その表情には何の感情も浮かんでいない。
知らず、司馬懿は拳を握り締めていた。
掌は、異常な程に汗ばんでいる。

「出於東方君子之國,皐羽翔四海之外,過山昆崘,飲砥柱,濯羽弱水,莫宿風穴。」

曹丕が口を開く。
説文解字だ。

「見則天下大安寧。」

見ればすなわち天下は大いに安寧である。
確かにそう言われている。
だが、それが何だというのだ。
何故だか言いようのない不安が湧き起こる。
その思いは次に聞こえてきた言葉によって、一気に具体化した。

「麒麟も、鳳凰も、私は見たことがない」

どのような気持ちで吐き出されたのだろう、それは彼自身にすらわかっているのか定かではないが、司馬懿には酷く重く圧し掛かる。

「お前は、見たことがあるか?」

そういって細い首を傾げ、微笑んで見せた曹丕の顔は、とても儚くて。
司馬懿は反射的に手を伸ばし、彼の腕を掴む。
引き寄せればあっさりと倒れ込んできた体を抱き締めて、何も言うことができずに、ただただその腕に力を込める。
心臓は、早鐘を打ったように激しく脈打っている。

「仲達、どうした、お前らしくもない」

抵抗もせず、されるがままの曹丕の言葉が胸に刺さる。
それでも頑なに離そうとはしない司馬懿に、諦めたかのように体を預けてきた曹丕の重みを感じながら、突如去来した恐怖から逃れようと、彼の体温に縋り付いた。



この世のものとも思えぬ、奇怪な生き物が空を飛んでいる。
鳥のような蛇のような亀のような魚のような、鳥のような。
水を飲んで、木の実を食べて、木の上に止まったその生き物が、じっとこちらを見る。
その無垢な目を見て、私は、まるでそれを、化け物のようだと思った。









エンド







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桐と青桐が全く違うのは知ってます。
他に思いつかなかったんです許してください。
無自覚に不安定に安定してる丕様可愛いよね。
振り回される司馬懿いいよね、っていう。