■2月 梅 「見てみろ、梅が咲いている」 ふと立ち止まった兄が、おもむろに呟く。 後ろを歩いていた司馬昭は、必然的に足を止めることとなり、そのままの流れで窓の外に目を向けた。 そこには確かに兄のいうとおり、梅の木があり、枝に可愛らしい花をいくつもつけている。 だが、司馬昭の目には、ただ花が咲いているという事実が映るだけで、何かの感慨が浮かぶことはない。 自分には花を愛でる趣味はないと、それは兄である司馬師も承知しているはずだ。 そして、司馬師自身にもそのような情緒があるとは思っていない。 証拠に、この梅は、司馬昭の記憶が確かならば、もう何日も前から花を開かせている。 今更、花の美しさに目覚めたということもないだろうに。 「あー、そうですね」 だから、司馬昭も気のない返事をした。 突然そんなことを言い出した兄の意図には引っ掛かるが、読めない人なのは十分承知している。 意味がありそうなことに全く他意がないことなどままあることだ。 その逆も然りで、司馬師も弟がそれを汲み取れなかったとて、咎めるほど狭量ではない。 すべて踏まえた上での、司馬昭が選んだ答えだった。 「ふ、興味がないようだな」 「あはは、まあないですよ。兄上もないでしょう?」 「良くわかっているではないか」 そう言って不敵に笑って見せた兄は、窓にゆっくりと近付いていく。 「この花…梅が、奴に似ていると、思ったのだ」 「奴?誰のことですか?」 思い当たる人物が浮かばず、率直に尋ねれば、司馬師はこちらを見ることなく、口を開く。 「諸葛誕だ」 「…は?」 その返答に、適当な言葉が出てこない。 諸葛誕とは、いつも顰めっ面をして、感情的に威嚇してくる、あの男のことだろうか。 眉間に皺を寄せた不機嫌な表情と、可憐で小さなの姿が一致せず、戸惑う。 「…諸葛誕って、あの諸葛誕ですよね?」 「恐らく、お前が想像している人物で間違いないだろうな」 司馬昭の動揺もお見通しなのだろう、司馬師は少し愉しそうだ。 しかし、答えを聞いて改めて考えてみても、兄の意見には賛同できそうにない。 早々に降参して、どういうことなのかと解答を求める。 「四君子という言葉を知っているか?好ましい人物像を植物に喩えたものだが、そのうちの一つに梅がある」 梅はその性質から、孤高、高潔な人物に譬えられるという。 そう説明する司馬師は、何処か遠くを見据えたままだ。 (孤立、潔癖、の間違いじゃないか?) 好意的に見れば美点になるのだろうが、悪意を持ってみれば、それはただの欠点だ。 司馬昭にとって、あの五月蝿く吠え立てる狗のような男は鬱陶しいだけの存在だが、司馬師には違って見えるのだろうか。 「で、あいつが梅に似てるっていうのは、兄上がそれだけあいつを気に入ってるってことですか?」 少し棘のある言い方になったことは否めないが、仕方ないだろう。 ただの小者だと思っていた人間が、尊敬する兄の目に止まったとあっては面白くない。 この人は何と答えるのか。 試すような心持ちでいると。 「ああ、そうだな」 あっさりと肯定してみせた司馬師の指が、窓に触れる。 それは手の届かないものを追い求めるような仕草のように見えた。 「誰よりも美しくあろうとして、真っ直ぐに立ち続けようとしている」 何故愛しそうに言葉を紡ぐのか、優しい顔で思いを馳せるのか、司馬昭には理解出来ない。 訳のわからない苛立ちに襲われて、もう話を聞きたくないと、割って入ろうとした、その時。 「だから、その信念を圧し折ってやりたい。屈服させて、私の前に跪かせてやりたくなる」 続けられた言葉は、およそ柔らかな口調にそぐわぬ、残酷なものだった。 「あの顔が涙に濡れて、絶望に染まるのは、とても美しいだろうな」 その表情を想像したのだろう、うっとりと声を漏らした司馬師に、司馬昭は暫し呆然とする。 しかし次の瞬間には、得も言われぬ歓喜が沸き起こった。 この人は、自分の期待を裏切らない。 「お前にもわかるのではないか?私のこの願望が」 そう言われて、少し考えてみる。 美しいものを汚してやりたいという感覚。 兄は歪んでいる人だから、きっと好きになったものへ注ぐ愛も歪んでいる。 自分には、そんな嗜好はない。 ない、はずなのだが。 何故だろうか、違う、わからない、と断言出来ないのは。 「…冗談きついですよ、兄上」 否定はしたものの、口角が上がるのを抑え切れない。 それを見て司馬師は、何も言わず、ただ笑ったのだった。 エンド ++++++++++ 菊の司馬師バージョンみたいな。 司馬昭がすごいお兄ちゃん好き過ぎて昭師みたいになってますが、昭→誕なんだと言い張る。 お兄ちゃんに取られたくないんだけどそれを認めるのが悔しいからお兄ちゃんを取られたくないだと思い込んでる、というよくわからん設定です。 認めたら認めたでただの鬼畜になるんですけどね! 戻 |