此岸にたったひとりのかたわれと、蒼穹にふたりきり。 眷属 「仲達は、父上の荀(イク)さまのように、わたしの臣下になってくれるか?」 膝に抱き上げ、腕の中に囲った子供は首を傾げて見上げてきた。 訊いているといった形は建て前だけで、実際は懇願に近い。 愛情に飢えた子供は最も近しい大人を繋ぎ止める事に必死になっている。 その必死さには嬉しさを通り越して何処と無く憐れみを覚える。 喩えこの身を言葉で繋ぎ止めなくても、子供の父親に疎まれる男など何処にも行きようがないし、 また子供にすっかり溺れている身なのだから傍を離れようとも思わないのだ。 喪失の恐怖は真実さえも見えぬ盲目にしてしまうが、子供には傅役の愚かとも言うべき執着ぶりさえも見えないらしかった。 「…残念ながら私には王佐の才はございません。また、子桓様も王にはなられぬでしょう」 正直に事実の一辺を告げれば、琥珀の瞳に影が差す。それは、諦めと悲しみの色。 常に偉大な父親と比較され続けるこの子供がよく浮かべる見慣れた瞳の色であった。 だが、傅役は決してこのような顔をさせる為だけに問い掛けを否定した訳ではない。 事実ではない事を否定しただけなのだから。 「しかし、子桓様は雛にございます」 ひな、と涙声が呟いた。 気高い誇りも純粋な心も傷を負っているのだろう、その身は小刻みに震えており、 見ていて誰しも憐れみを覚えずにはいられない程痛々しい。 しかし、彼は矜持の高さゆえに泣くまいとしているのだろう。膝の上で握り締められた拳は白く関節が浮かび上がらせている。 それでも滲み始めていた涙を指の背で拭って取り去る。 驚いたのか、ぱちぱちと瞬きした拍子に頬に零れた涙は舌先で丁寧に拭い上げた。 「王の相の代わりに、子桓様には尊い翼がございます」 「…つばさ?」 「そうです。片翼ではこざいますが」 曹丕の薄い背中を撫で、指先で肩甲骨の下を擦る。 細い骨と、ふにふにとした柔らかな筋肉は主はまだ子供なのだと実感させた。小さな主は擽ったそうに身を捩る。 だが側近に触れられ、構われることを喜んでいる素振りはとても可愛らしく映る。 なんと愛らしい、と頬を緩めれば頬を染めてはにかむ姿が見れた。 「そして私にも片方だけ翼がございます」 「おそろいの? 比翼の鳥みたいに?」 幼くも聡明な主に、やはりこの方こそが我が主なのだと痛感し、また笑みが零れる。 「子桓様は聡明でいらっしゃる」 『比翼の鳥』を口にして、ぱっと明るくなった表情は、彼が『片翼』の意味を寸分違わずに悟ったため。 『比翼の鳥』は雌雄が分かれども、二羽で二枚の羽を共有する伝説の鳥。 それは夫婦の喩えにも使われるが、己が言ったのはより深い意味であった。 片翼では餌を取るのも移動するのもままならぬ不自由な鳥が生きる為には、二匹が常に共にいて、双翼でいなくてはならない。 …差し詰め、今の二人のように。 次代に選ばれ生きる為に子供は傅役の智慧が必要で、また、首輪で絞殺されぬ為に傅役は子供の加護が必要だ。 賢い子供はそれを知っていて、傅役から与えられる知識を貪欲に吸収し、 己の父に飼われた傅役が不興のままに殺されてしまわぬように庇ってきた。 それはその幼き身には稀な程の、聡明さであった。 「子桓様と私の翼は王の座など優に超えていく為のもの。 王佐が王を補佐するならば、私は子桓様が天に昇る為の存在となるでしょう」 「!」 子供は見開いた眼で直向きに見つめている。 強い眼差しは誇らしげに輝き、ふっくらとした桃色の唇は自信に溢れ緩く弧を描いている。 その唇が悪戯げに笑みを深めるとまろい声で言葉を繋ぐ。 「ならば仲達とわたしで、比翼の鳳凰になるのか?」 「ああ、そうですよ…貴方に仕える私が『王』の補佐など役不足でしょう?」 天へ至る階(きざはし)を二人のこの対の翼で翔るのだ、と。 父親でさえ目指さぬ高見を見据え、不遜な事を口にされて笑う子供。 いずれはこの秀でた頭に玉冠を被せる時が来るだろう。 喩えそれが己の頭に乗る事が無くても構わない、と傅役は思っている。 小さな片翼の主に頂く冠は、二人で作り上げたもので、どちらかの最期の日までその身ごと自分の傍に在るのだから。 それこそ翼を分け合う比翼の鳥や雌雄一対の鳳凰のように。 「仲達、」 満足そうに呼び掛けた子供が腕を伸ばした。応える様に身を屈めると、首元に回った手が引き寄せて柔らかな唇が当たった。 お返しにと口付ける。くすくすと甘やかな笑い声が隙間から漏れた。 「…人位の『王』などと小さい事を言いなさいますな。貴方は天位を継ぐ者なのですよ?」 痩躯を抱きしめて瞼を閉じる。脳裏には子供の小さな片翼を思い浮かべていた。 終 - - - - - - - - - - - - - - ちょっと(?)スランプ気味ですみません…。 ひなぴー様とわかどり仲達でお送り致しました。(←何か焼き鳥っぽい…) 『眷属』は日本だと『手下』の意味もあるのですが、 ここはやはり『文皇帝』仲間なので『身内・親族・一族』の意味で。 しかし、丕様が仲達をそそ様から命を守って、仲達も丕様を公私で支える… 正史における二人の関係が、とても萌えるのは私だけでしょうか。 共依存?って言うんですかね? 全然依存しないドライな関係もアリだとは思いますが、丕懿でも懿丕でもそんな感じが一番好きです。 ikuri 10/10/31 戻 |