■固く閉じ込めて、どこにも行かないように




鳥が欲しい。
青と白で構成された美しい鳥。
手ずから餌をやり、甲斐甲斐しく世話をしたい。
ただし、籠からは出ないように、躾はしっかりと。
決して離れないように、そんなこと、考えようともしないように。



辺りを見渡してその姿を探せば、すぐに人ごみの中でも一際目立つ真っ直ぐに伸びた背筋が目に入って、思わず駆け出した。

「諸葛誕さん!」

嬉しさのあまり、堪えきれずに名前を呼ぶ。
その人が立ち止り、振り返るのと同時に彼の元に辿り着いた。

「こんにちは、諸葛誕さん」

「やあ…文鴦君、私に何か用だろうか」

「いえ、お姿を見かけたので、つい声を掛けてしまいました」

実際には偶然ではなく、明らかな意思を持って彼に近付いたのだが、それには触れずに告げると、彼―――諸葛誕は少し困ったように苦笑した。
文鴦が学生として通う大学の研究生である彼とは、同じ構内にはいるものの、ばったり遭遇するということは難しい。
だから文鴦は僅かな機会も逃さぬように、暇さえあれば彼の姿を求めて、常に目を光らせている。
奇遇だというには不自然なほど高いその確率に、その理由に、彼は気付いているのか。
最早文鴦の行動は、執念と言って差し支えない。
傍らに知り合いがいるにも拘らず、彼の姿が目に入るや否や、彼の人で頭がいっぱいになって、その人間の存在など忘れ、置き去りにしたこともある。
普段は穏やかな文鴦のあまりに過激な姿に、何故自分をこんなに慕ってくれるのかと、諸葛誕本人から問われたことがあった。
その質問に答えた後の、彼の引き攣った顔は覚えているが、何と言ったかは興奮していて覚えていない。

「もしかしてこれから昼食に行かれるのですか?でしたら私もご一緒してよろしいでしょうか」

「ああ、そうだな…私は構わないが…」

その誘いに、諸葛誕は語尾を濁しつつ、文鴦の背後を気にしながら曖昧に頷く。
だが、承諾を得た瞬間に、彼能手を取って引き摺るように歩き出した文鴦に、多少の違和感など些末なことでしかなかった。



彼と出会った時のことは今でも鮮明に思い出せる。
その日はレポートの資料を探すために図書館を訪れていた。
午前中の講義が終わり、昼食の後、次の講義までの時間が開いていたので、暇潰しがてらの行動だった。
広い図書館で目的の書物を首尾よく手に入れ、貸出手続きまで終えた文鴦はふと思い立って、進む方向を変えた。
時間もあることだと思い、先に軽く目を通しておこうと、普段はあまり立ち寄らない閲覧席を目指す。
自習もできるように机も設置されているそのスペースは、いつも大抵席が埋まっている。
一様にこちらを背を向けて居並ぶ人々のを眺めながら空席を求めて視線を巡らせて、そこで文鴦は動きを止めた。
太陽の光が差し込む窓際に並べられた席の中程、そこに座る人の背中に、視線が釘付けになる。
背が目立って高いという訳ではない。
寧ろ、雑踏の中にいたのならば埋もれてしまっているだろう。
髪は綺麗に整えられていて、乱れひとつない。
その長さは襟足にかかる程度で、項は隠れている。v 特筆すべきは目を惹かれた、歪みのない背中だ。
周囲の人々が書き物をしたり本を読んだりして、どうしても猫背になり、俯いている中で、その人だけは背筋を伸ばし、頭を少しだけ下に向けて作業をしている。

時折少し動いている腕を見るに、読書をしているのかもしれない。
それ以外には周りの学生たちと何ら変わることはない。
だというのに、文鴦はその人から目を逸らすことができない。
その人を逃がしてはならないと、誰かが命令でもしているようだ。
本能に支配されるまま、その場に立ち尽くしていると、がたりと音がして、目の端に席を離れようとする他の学生の姿が映った。
位置を確認してすぐさまその席に着くと、思ったとおり、その人の背中がよく見える。
本を開いて読書をするふりをしながらも、視線の先は先程から全く変わっていない。
だが、視点が変わったことで少しだけ横顔が見えた。
紙面に注がれる視線に合わせてゆっくりと動く眼球はとても澄んでいた。
文庫本を持つ指は細いながらも骨張っていて、皺など見当たらない福越しの体つきもどこか丸みがない。
始めは女性かとも思ったが、どうにも男性のようだ。
恐らくこの大学に籍を置く人間なのだろうが、複数の学部があるここでは、学生だけでもその人数は膨大で、教授や大学院生も含めると、見たことがない人間の方が多いくらいだ。
交友関係も広い方ではない己では、特定など出来はしない。

(彼は誰なんだろう…)

少しでも情報が欲しい。
こんなにも他人に興味を持つのは、初めてのことだった。
どれほどそうして彼を見ていたのだろう。
手元のページは一枚も捲られていないが、外は大分薄暗くなっている。
周りの人々の顔ぶれも変わっている気がするが、彼以外のものは目に入っていないので、それも定かではない。
随分長い時間が経っているようだが、彼の様子を観察することに飽くことはない。
彼が変わらぬ姿勢で本を読み続けるならば、文鴦も彼を見続けるだけだ。
もう頭の中からは受けるべき講義があったことなど抜け落ちている。

(あ…)

しかし、その幸福でもどかしい時間も終わりを告げる。
漸く顔を上げた彼は、壁に目を向け―――恐らく、時計を見ているのだろう―――不意に本を閉じた。
そして足元に置いてあったらしい鞄を手に取って席を立つ。
机の間をすり抜けて足早に立ち去ろうとする姿に、文鴦も慌ててそのあとを追いかける。
歩いている時でさえ、彼の姿勢は美しい。
やはり背は少し低めのように見える。
女子学生と比べれば高い方なのだろうが、自分が規格外に高身長なので、大分差があるに違いない。
その体格差をもってしても、彼の後をついていくのは少々骨が折れる。
忙しなく足を動かす歩き方は、彼の癖か、それとも急いでいるのだろうか。
まもなく彼は建物へと足を踏み入れた。
その見慣れた外観に驚く。
そこは、文鴦の在籍する学部棟だった。

(同じ学部のなのか?なのに一度も見かけたこともないなんて…)

疑問が頭を駆け巡るが、考える暇もなく、ただただ彼に付いていく。
階段をひたすら上り、気付けば授業を行う教室がある階を通り過ぎていた。
学生の姿も少ないこの辺りにあるのは教授室や研究室ばかりで、文鴦もほとんど足を踏み入れたことがない。
躊躇いもなく足を進める彼がようやく足を止めた時には、もう何階にいるのかもわからなくなっていた。
似た扉の立ち並ぶ長い廊下を進み始めると、今度はすぐに立ち止まる。
どうやら目的の場所に到着したようで、とある扉に正面から向き合うと、折り目正しく四回ノックをした。
するとすぐに扉が開き、中から人が現れる。

「おー、時間ぴったり。よく躾けられてんなあ、お前」

「…何故あなたがいるのです」

扉から身を屈めるように姿を見せた大柄な男を見ると、彼は不機嫌そうに口を開いた。
その声は、彼の立ち姿によく似た凛とした響きで文鴦の耳にすんなりと馴染んだが、己に向けられたものではないことに不満を覚える。
二人の間では尚もやり取りが続けられているようだが、沸々と湧き上がる怒りにも似た感情に支配され、耳に会話の内容は入ってこない。

「まあいいや、早く入れよ、兄貴がお待ちだぜ」

「あなたに言われずともそうさせていただく」

「あっ…!」

気付いた時にはその人の姿が室内に消えかけていて、思わず文鴦は手を伸ばす。
すると、彼と対峙していた男が不意にこちらを向いた。
その顔には見覚えがある。

「あれ、文鴦じゃん。何してんだ、こんなところで」

司馬昭という、この大学の教授の息子の声に反応して、彼の顔もこちらに向けられる。
驚いたようで、目を丸くして、文鴦を凝視している。
ようやく真正面から見ることのできた瞳はやはり美しく、その瞬間、文鴦は完全に彼に夢中になった。



手本のように正しい箸の持ち方。
規則正しいリズムで口に運ばれる料理。
諸葛誕の食事をしている様を、自らの食事のことなど忘れてじっと見つめていると、それに気付いたらしい彼が気まずそうに口を開いた。

「何かおかしなところがあるだろうか?」

「まさかそんなことはありません。ただ、綺麗なのでつい見惚れてしまいました」

「綺麗など…揶揄うのは止めなさい」

「揶揄うなんて…俺は本気です」

疑われたのが心外で、真剣な表情でそう返すと、諸葛誕が今度は辛そうに顔を歪める。
文鴦が賞賛の言葉を掛けると、彼は決まって同じ反応をする。
素直な気持ちを伝えているだけなのに、何がそんなにも彼を悩ませているのか、わからない。
だが、彼を苦しめることは本意ではないので、その時にはすぐに話題を変えるようにしている。

「あの、そういえば、鳥を飼いたいんです」

あからさまな話題の逸らし方ではあったが、居た堪れなかったのだろう、諸葛誕は目に見えてほっとした様子でその話題に乗ってきた。

「そうなのか。何か気になる種類でも?」

「はい、一目見て気に入って」

答えながら、脳裏にその鳥を思い浮かべる。
サイズは手のひらに収まる程度の小ささ。
目の覚めるような青と濁りのない純白の、コントラストの美しい色彩。
テレビで偶然見かけた時、すぐにこの人を思い出した。
欲しくて堪らなくなった。

「そうか。君は優しいから、飼われる鳥も幸せだろう」

「本当にそう思われますか?」

「ああ」

その言葉に偽りはないのだろう、彼は穏やかに笑っている。
彼は知らないのだ。
鳥を欲しいと思う文鴦の本心を。

(手に入れることができたら)

まずは鳥籠を探そう。
十分な広さが必要だ、窮屈な思いはさせたくない。
その中でずっと暮らしてゆくのだから、気に入ってもらえるように。
食べ物は口に合うものを根気よく探していく。
できればこの手で食べさせたいが、慣れないうちは押し付けはしたくない。
もしかすると、環境の変化に戸惑って、最初は逃げようとするかも知れない。
その時はわかってもらえるまで何度でも言い聞かせるのだ。
ここにいて欲しいと伝え続ければ、きっとわかってもらえる。
そうして、離れることのないように、いつまでも。

(あなたになら、わかりますよね)

いつかそんな日が来ればいい。
そうすれば、あの悲しい顔も、もう見なくていいだろうから。








エンド







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現パロでお題シリーズで文鴦→諸葛誕。
この二人を書いてると大体中途半端に終わります。
何故なら書き切ると怖いことにしかならない気がするからです。