■心を悟られないよう、隣で薄く微笑む 馬超と馬岱の付き合いは長い。 年数を数えることすら意味がない程に。 共に過ごした年月の長さに価値はない。 その間に少しずつ堆積した澱が、全て塗り潰してしまった。 あるのはただ、暗く濁った欲望だけ。 勢いよくカーテンを開けると、眩しい程の光が室内に注ぎ込む。 しかしそれは朝日ではない。 頂点に届こうかという真昼の太陽が放つ強烈な日差しだ。 その光に目を細めれば、背後でぎしりとベッドが軋む音がした。 そこで昼間までカーテンもそのままに眠り続ける部屋の主を顧みる。 しかし目に入ったのは人の形に膨らんだ布団だった。 観念して起きるかと思ったが、往生際の悪いこの人は、寝返りを打っただけで再び惰眠を貪るつもりらしい。 馬岱は一つ溜息を吐いて、ベッドに近付き、恐らく肩と思われる辺りに手を置いて、軽く揺らした。 「若、起きなよ、もうお昼だよ」 到底覚醒を促すには足りない、力無い声掛けだ。 案の定、布団の中の人物はぴくりとも反応しない。 それを確認して、今度は顔を寄せ、もう少し力を入れてみる。 「いくら休みだからってよくないよ」 すると、振り払おうとするかのようにもぞもぞと布団が動く。 起きることを拒否するその姿に呆れて、また嘆息し、そして。 「若!起きて!」 「う…ばたい…まぶしい…」 布団を掴んで思い切り引っ張り、引き剥がす。 すると、中にいた人物が唸り声を上げた。 光を遮ろうとして掲げられた腕を取って、その顔を覗き込む。 「諦めて起きなよ、ご飯作るからさ」 「…コーヒー飲みたい…」 「はいはい、淹れますよー」 観念したらしいその人の最後の抵抗らしい我儘に苦笑すれば、彼の顔は一層歪められた。 目の前で己が作った食事を無言で食べる姿を観察する。 育ちがいい彼の所作には気品があった。 それなりの家柄に生まれ、上げ膳据え膳の生活をしていた生粋のお坊ちゃんだ。 大学入学を機に一人暮らしを始めた彼だが、周囲からは大層心配された。 かくいう自分もその一人で、誰に頼まれた訳でもないが、こうして彼の様子を見るべく、時折ここを訪れている。 その度に彼は惰眠を貪っていたり、飲まず食わずでゲームをしていたりと、まともに生活をしているところを見たことがない。 台所にはコンビニ容器などのゴミもなく、自炊をしている気配もないので、外食でもしているのだろうか。 本来ならば、栄養が偏るだとか不経済だとか言って、説教をするべきなのだろう。 しかし、今は何故かそれをすることが憚られる。 彼から難色を示されたという訳ではない。 馬岱自身が、踏み込むことを恐れるようになっただけだ。 その理由は自分でも笑ってしまう位に下らなくて、しかしあまりに切実で、吐き気がするほどに醜悪で、到底口に出せそうにない。 「馬岱、どうした」 見つめすぎていたのだろう、訝しげに声を掛けられて、慌ててなんでもないよと言ってへらりと笑う。 馬超は眉を顰めたものの、諦めたのか興味を失ったのか、そうかとだけ答えると、コーヒーに口を付けた。 砂糖とミルクまで彼の好みに合わせて用意したコーヒーを、それが当然であると何の疑いものなく飲む姿に覚えるのは、紛れもない充足感だ。 彼は物事の好悪と言うものがはっきりしている。 それは飲食物の好みにも表れていて、口に合わなければあからさまに渋面を浮かべるほどだ。 美味しいというでもなく、味を褒めるでもなく、ただ何でもないような顔をしているという事実が、何よりもそれを証明している。 そしてそれに馬岱はこの上ない幸福を得るのだ。 「若、今日は何か用事ある?」 「いや、特にない」 「じゃあ、買い物、付き合ってよ」 喜びに歪む口元を誤魔化すように明るく振舞ってはいるが、果たして隠しきれているだろうか。 休憩のために入ったカフェで注文したのはコーヒーだ。 何の変哲もないそれを、いつもの分量で砂糖とミルクを入れて口に運ぶ。 (不味いな) しかし到底満足できるような代物ではなく、馬超は早々にカップを置いた。 向かいに座った馬岱はいつもの穏やかな表情で紅茶を飲んでいる。 その様子を見ていれば、必然的に目が合った。 すると馬岱は、今まさに口を付けていたティーカップを軽く掲げ、次いで馬超の前に置かれているマグカップを指差す。 「ねえ若、これとそれ、交換しない?」 急にコーヒー飲みたくなっちゃった、と笑って言う。 いかにも気まぐれを装ってはいるが、彼が笑顔の裏に隠そうとしている本当の理由は歴然としている。 提供されたコーヒーが、馬超の口に合うものではなかったと察したからだ。 「…仕方がない奴だな」 そうだと知りながら、馬岱の我儘に付き合ったのだと、少し呆れたように返して彼の提案に乗る。 果たしてそれは、彼の目にどう映っているのだろう。 いつからか互いの腹を探り合って、本心を隠し、相手の反応を窺いながらの付き合いにも慣れてしまった。 やり取りは無邪気に遊んでいた幼い頃のままだというのに、中身はとても醜い。 この歪んだ関係に、馬岱は恐怖を感じているようだ。 いや、彼が恐れているのは寧ろ、彼自身の暗い欲望についてか。 以前ほどこちらの行動に干渉しなくなったのがその証拠で、それでも完全に離れることはできないだろう。 そして、馬超も、馬岱が離れることを許すつもりはない。 たとえそれが彼を苦しめているとしても、決して。 (お前は知らないだろうな) 箱入りだとか世間知らずだとか言われている自分が、馬岱が見ていないところでは人並みに自炊も掃除も洗濯もして、何一つ問題なく生活していることも。 それを悟られないために、敢えて部屋に生活感を持たせていないことも。 馬岱がやって来るタイミングを見計らって、わざと自堕落にしているように見せかけていることも。 (…お前は、知りたくないのだろう) そうすれば彼が自分から離れないということを。 彼が大義名分を持って自分の傍にいる理由とできることを。 彼が必死に目を背けている独占欲が、酷く心地好いものであるということを。 (お前は、知らなくていい) こんなにも醜悪な気持ちを隠して、彼の隣で頬笑んでいる、馬超のことなど。 「ねえ、若」 「なんだ」 大して美味しくもないであろうコーヒーを飲みながら馬岱が口を開く。 その顔には迷いが見て取れる。 踏み出せずにいる己への葛藤がそこにはある。 「…夕飯はどうするの?」 そして今日もこの曖昧な関係を終わらせられず、見ないふりをする。 いつか決壊する時が来ると知りながら、それでもそれは今ではないと目を背けている。 その時はもう手遅れだというのに。 「…適当にする、何かあるだろう」 「えー、冷蔵庫の中、ほとんど空だったよ?どっかに食べに行こうよ」 全てを覆い隠して笑う馬岱に、何も知らないとばかりに憮然とした表情を向けながら、内心では満たされていく独占欲に喜んでいる。 卑怯なのは自分も同じだと、自嘲を隠すように、温くなった自分好みの味の紅茶に口をつけた。 エンド ++++++++++ 現パロでお題シリーズで岱超。 馬超の方が自覚と覚悟ができるのが早いのもいいし、 馬岱の方が何も知らない馬超を堕とすのもいいと思います。 戻 |