――――――――――残夢に惑う者は果たして。 「……では、これで以上に致しましょう。 諸将方、お疲れ様でした。明日も早うございます。ゆるりとお休みなされ。」 陳宮が軍議を終える言葉を言うと、待っていたと言わんばかりに武将が幕舎から足早に去り、疎らになってゆく。 堅苦しい話を不得手とするのは大抵の武人であるけれども、特にこの呂布軍では顕著に現れている様だった。 とはいえ、武人の中の武人たる呂布が主君であれば当然かもしれないが。 やれやれ、と唯一の文官である陳宮は小さく溜息を吐こうとして……寸でのところで止めた。常ならば真っ先に退出していくだろう主君、呂布が未だ席に座っていたのに気が付いたのだ。 「呂布殿、どうなされました? 早くお休み下されませ。」 天変地異の前触れか、と失礼な事を思いつつ近づく。大股で一歩の距離だろうか、そこで陳宮は立ち止まって主君を窺った。 呂布は座ったままでも小柄な陳宮が立ったのとほぼ同じ目線の高さであった。毎度の事だし、そもそも呂布と比べるからして無謀ではあると知ってはいるのだが、同じ男として陳宮は敗北感に苛まれる。 一方の呂布は目の前の軍師がそんな事を考えているとは欠片たりとも気付かず、真紅の戦化粧で縁取られた目で、ちろ、と意味ありげに見上げて陳宮を捉えた。逃れる事を許さない熱が籠もった視線は、この主君が陳宮を待って残っていたのだとはっきりと示していた。 「陳宮、」 「何です?」 潜めた声に、熱の灯る瞳。 軍師は意味が判らぬ程若くもないし、主君とは付き合いが浅い訳でもなかった。その為、求める所の見当は付いていたが、しかし敢えて素知らぬ風に問い返す。 「む……、分かっているだろう?」 素っ気ない返答に、子供の様に口を尖らせながら呂布は手を伸ばした。深草色の質素な着物の袖を掴むと、引っ張って体ごと引き寄せる。やや強引な行為だが、すっかり呂布の行動に慣れていた陳宮は、特に驚きもせずに大人しく腰を抱かれていた。 「……後で俺の幕舎に来い。 いいな?」 「……。」 当初陳宮は、正直断ろうと思っていた。 男の生理は判らないでもないし、戦場では常よりも高ぶるのも知ってはいたのだが、受け身は疲れるし辛かった。それは呂布も理解していた(と思う)から、本気で拒めば引いてくれるのは分かっていた。 しかし、 「……公台、」 負けた。 とその一声に陳宮は思った。 閨を命じる割には随分控えめな口調であった。いっそ子供が強がりを言う時の様な調子で、こんな図体がでかくて雄々しい男とは言えども、彼にはどうにも可愛らしく見えてしまう。 直線的な物言いや命令だったならば、主君と言えど引っ叩いていただろう。 だが、ねだるように字を呼んだ呂布に絆されてしまったら、了承するしか無かったのである。 「……判りました。皆に指示を出し終えたらすぐ参りましょう。」 内心甘いなと思いつつ、肯った瞬間に陳宮が感じたのは、焼け付く様な、ちりり、とした視線が二つ。 それが誰の視線なのかは、見なくても分かっていた。主君を差し置いて退出をしない忠義の武将は、軍中に二人しかいなかったのである。 「うむ、待っているぞ。」 「……はい、では後ほど。」 了承すると、呂布は嬉しさを隠しもせずにいそいそと立ち上がって辞した。 名残惜しげに尻を一撫でしていく不埒な手に、見えない所で一撃を加えながらも、拝礼して主君の背中を見送る。 主君の気配が消え去った頃合いを見計って、頭を上げて周囲を見渡せば、先程から注がれていた視線は一瞬だけ此方と絡み合って外される。 そして主君の後を追う様にして、視線の主たちは天幕の外に消えた。 「……、」 残されたのはゆらゆらと揺れる入口の幕と陳宮のみ。 ふぅ、と溜息を一つ。 それは先程吐こうとしていたのよりも、ほんの少しだけ重い響きを持っていた。 続 - - - - - - - - - 中篇 - 後篇 coming soon…? - - - - - - - - - - - - - - とうとう書いてしまった呂陳。 この後何話か続く予定。 陳宮は年上女房(?)で、結局何だかんだ言っても呂布殿に甘いと良い。(妄想) 因みに視線の主は張遼と高順でここは一つ。(反転すると分かります/ネタバレ防止……。) 残夢=見果てぬ夢。海石のお題サイト紫岸鳥から抜き出し。(宣伝?) 戻 |