残夢に惑う者は果たして・中篇















「公台、お前は文遠とも仲が悪いのか?」




 後ろから抱きかかえて衣の袷を乱しながら、ふと思い出した様に呂布が問うた。呂布は、陳宮が先程のやり取りの時に感じた視線に気が付いていたようであった。
 流石は一流の武将、と陳宮は思ったが、一方で、そこに潜んでいた感情までは読みとれはしなかったようだ、ともまた思った。呂布には、普段陳宮と何かと衝突する高順が敵視を送るなら兎も角、日頃から何くれとなく彼と会話を交わしていた張遼の視線には納得がいかなかったらしい。
 それが実に心持ちが真っ直ぐな呂布らしいと、軍師は妙に微笑ましい気持ちになって、口端に笑みを浮かべた。


「いえ、仲……は悪くは無いと思いますが、」


 寧ろ良好で。
と、侵入し始めた手に息を乱しながら返せば、ちらっと伺い見た主君が納得のいかぬ表情を浮かべたので、陳宮は更に付け加えた。


「嫉妬、はされておりますかと」

「……嫉妬?」


 主君は首を傾げた。予想外の返答に、這い回っていた不埒な手を止める。


「張将軍は妬いているのですよ。
 呂布殿が張将軍ではなく、私を閨に呼ばれましたことに」


 主君はまだ納得が行かず、手もそっちのけで首を捻っている。大の男が、しかも呂布がやるには随分可愛らしい仕草である。
 それをくすりと笑いながら、これ幸いと陳宮は上がり始めていた息を落ち着かそうとしたが、肌に居座った手は熱くじわりと身に染み込んで、身を焦がす。また退かそうとしても、簡単には退きそうには無かった。 仕方無しに諦めて溜め息を一つ吐き、再び言を続ける。


「想像し難くば、あの視線の熱に一度気付いて御覧なさいませ。
 さすれば必ず、恋に狂う若き男と、斯様に女々しい真似を厭う胸持高き武人とが、心の内で葛藤する様が見れますよ?」


 そう言うと軍師は躰の向きを横向きへと変えようとして、大きく身じろいだ。
 途端に、いっそ反射的にと言っても過言ではない位に素早く、逃さぬと言わんばかりに強く痛い程に抱き竦められて少し驚いた。ただ主の顔をしっかりと見たくてそうしたのであったが、彼の主君はそうは思わなかったらしい。
 しかし『痛いですよ』と窘めるのも可哀想な気がしたので、逃げる気はない、と示す為に全身の力を抜いて胸に凭れた。抱きかかえる様にいつの間にか腹へと回されていた手を、彼は指先で宥めるように撫でる。
 そうしながら見上げれば、その顔には朝、出陣前に施された戦化粧がまだ著く残っていた。眼(まなこ)の紅い縁取りが、精悍な漢らしい顔をより引き立たせていて、思わず感嘆と羨望の溜息が漏れる。良くて人並、と自分の容姿と体格を認識する彼にとって、主のような強きもののふの美丈夫ぶりは、ちらりと見掛けるだけでも幸甚であった。少々相手の頭の程度が低かろうとて、難なく眼を瞑ってしまえる程には尊い。


「しかし、納得出来ん」

「……っ!」

 不意に、見とれている陳宮の意識を呂布のやや低くした声が切り裂いた。思わずびくりと震えた体に、頭上から主君が無言で訝しげな視線を向けてきた。それに何でもないのだと首を振り返して先を促す。


「……何がです?」

「俺が文遠を閨に呼ばんのは、今が戦場で、奴が俺の武将だからだろう。
 それを奴とあろう者が知らん訳ではあるまい」

「……確かに」


 一つ頷いて軍師は下に目線をやった。
 己の細い腕が地味な衣を纏っているのとは対照的に、主君の筋骨隆々とした腕は色鮮やかな具足に包まれていた。
 また一つ頷く。
 ……つまりはそういう事なのだ。
 呂布が身に付けているのは一番基本装備の具足だけである。だが一瞬たりとも……例え夜だとてそれを身から離す事が出来ない戦場で、戦闘の要である武将を消耗させる訳にはいかない。特に呂布軍では名のある将軍というのは決して多くはなく、貴重な戦力を削る訳にも、ましてや不調の為に失う訳にもいかなかった。
 それをあの年若い将軍が知らない訳がない。否、知っているからこそ、陳宮にあからさまな言葉を突きつけるのではなく、無意識か意識的にかは判らぬが、ただ視線を向けるに止(とど)まっているのである。


「しかし張将軍は若うございますからな。
 理性ではそう思うていても、心が着いてはいかぬのでしょう」

「そういうものか?」

「そういうものですよ。勿論張将軍は、きちんとご自身の自制をなさってはいらっしゃいますが」

「ふむ……」


 素直に思ったままの意見を呂布に伝えれば、主君は何やら思案げに顎に手をやった。うんうんと(珍しく)脳味噌を稼働させているのは、大変稀な事だとその姿を見て思う。
 こんなくだらない事で悩むのなら、普段もこれぐらい頭を使って執務してくれても良いのでは?
 そんな恨み言すらも言ってしまいそうになって、軍師はぎりぎりでその言葉を飲み込んだ。


「では公台はどうだ?」

「はい?」

「公台は嫉妬とやらに惑わんのか? 例えば戦がない平時は、俺は文遠を抱いているが。」


 不意に、思ってもいなかった事を言われた陳宮は、ぱちぱちと瞬きをして心底驚いた顔をした。だがすぐに我に返ると、真剣な顔をした主君を後目におかしげにくすくすと笑い始める。


「ふふ、殿は私を幾つと思っていなさる。殿よりも私は年長ですよ?
 惑う程私は若くはありませんし、第一、疲れるではありませぬか」

「疲れる?」


 呂布が首を傾げる。予想外の応えだったのか、それとも、『疲れる』といった事に縁遠いからなのか。
 どちらにせよ、微笑ましい事には変わりない。


「殿にはお美しい妻妾もいるのですよ?  一々悋気を起こしていたら、私は身が持ちませぬ。
 ……それに、」

「……何だ」

「悋気は此処を鈍らせますから」


 とんとん、と軍師は自身の頭を指さした。呂布の視線が、彼の頭へと注がれるとにっこりと笑う。


「……頭?」

「はい。何より私が使うのはこの頭でございます。言うならば平時こそが私が生かされる時。仕事以外に貴重な思考と体力を割く事はおろか、悋気だの何だのを思い煩う事すらも出来かねます。
 仮令、私の思考と体力を割くモノが殿の閨に侍る事でも」

「……つれない奴め」


 言い終わると、呂布が拗ねた顔をしてぼそりと零し、片手で陳宮の腰を強く掴んだ。言い様に、ぐっと力を込めたかと思うと、膝に乗せていた軍師を半ば放り投げる様にして仰向けに押し倒す。一瞬の浮遊感と衝撃に身を固くして眼を瞑っていた軍師は、主君がのし掛かってくるのを床が軋む音で知った。


「お前の主君は俺だぞ。だと言うのに俺より仕事を大切にするとは何事だ」


 主君の声音は固く、怒気すら含んでいる様に聞こえた。しかし軍師は大して怯えた風も無く、それどころかくすくすとまた笑い始めた。むっつりと押し黙った男の逞しい首に、下から自分の細い腕を伸ばして絡めると、やんわりと引き寄せて、さも微笑ましげに囁く。


「……今度は呂布殿が嫉妬していなさる」


 そうして子供を宥めるかの如く背や頭を優しく撫でた。図星だったのか、羞恥なのか微かに頬が色付いたのに気付いて、軍師はまた小さく声を上げて笑った。


「ふふ、貴方の御為に仕事をしているのですよ? 全く殿はいつまでも若々しくていらっしゃる」

「……五月蠅い」


 単に言っただけではまた拗ねてしまうので、殊更『貴方の為』を強調して主君の自尊心をくすぐってやれば、相手は照れ隠しにか、ぞんざいに吐き捨てた。そして、口が達者な軍師の武器を封じてしまえと言わんばかりに、唇を己のそれで塞いでしまう。技巧を差し置いた息も継がせぬ口付けに、段々と軍師の理性も意識も霞んでいった。


「っ!
 ……と、の……っ、」


 残された理性の端で、静止を請う為に名を呼ぶ。
 だが熱に浮かされていた声で静止する程、主は優しくも無かったし、また理性を保てても無かった。ただ逆に煽られたのか、深く舌を食まれ、良いように躰を煽る手がより身を苛ませただけである。


「ぁ……ッ」




 ―――――精々良い声で鳴け。

 漸く息を継げた刹那、主君がそう囁いた気がしたが、それすらも溶けた意識と体では最早判別出来はしなかった。










 終





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前篇 - 後篇coming soon…?
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 何だかんだ言って続いてしまった呂陳。(ぇ)
 仲間いないのに一人でやってるのも悲しいんですが、何故か見て下さる方はいらっしゃるという……。
 (因みに私の作品の中で一番需要が高いっぽいです……。)
 そんな優しい皆様に太感謝了!!;;

 それはさておき、今回、陳宮が呂布殿大好きに見えてしまうんですが……。(史実も仲が良いとは言え、やりすぎた感が。)どうなんですかね、これは許されるのでしょうか……?
 あ、因みに呂布殿は張遼と二股かけてます。戦の無い時は張遼呼んで、戦中だと陳宮呼んで……みたいな。(そんな説明いらん)
20070625