おつかいのそのの話2















 二人の大人が修羅場を迎えていた頃、少年はコンビニを出て家路を急いでいた。
 見上げれば高層建築物の立ち並ぶ中に一際値段の張りそうなマンションが現れた。
 品の良いエントランスにはこの御時世だからか屈強な警備員が見張り、 良く手入れされている煉瓦の植え込みは葉も瑞々しく季節の植物で彩られ、道行く人の目を留めていた。 ただ一人、煉瓦の上に腰をかけた子供を除いて。
 その子供は心細げな様子で、道をきょろきょろと見回している。 誰か人が近付く度にぱっと顔を上げ、人違いだと判ると寒さに白くなる溜息を零す。その様はまるで迷子のようであった。
 しかし曹丕はその子供が迷子などではない事を知っていた。 迷子ならば警備員が住人を煩わせないように然るべき処置をしていただろうし…そして何よりその幼子は曹丕が良く知る愛し子であったからであった。
 あのいけ好かない男の余計な邪魔さえなければもっと早く帰れたのものを、と言っても詮無い事を呟く。

「しかんどの!」

 子供は曹丕の姿を認めるなり、ぱたぱたと走り寄る。喜びを露わにしたその姿に曹丕から笑みが零れた。

「しかんどの、おかえりなさい!」
「ただいま、阿懿」

 少し身を屈めて腕を差し伸べると、素直に腕に飛び込んできた。 抱き上げてやると、嬉しくて仕方ないと言わんばかりのに首元に抱きついてくる。 『しかんどの』と、呼ぶのは大人達が呼んでいたのを真似したのか、そうお呼びしなさいと躾られたかは解らないが、 大人達が曹丕をそう呼ぶのよりも随分甘く聞こえる。

「こんな所で…私を迎えに来てくれたのか?」
「はい。だって、しかんどの、いつもよりおそかったから…」

 彼は素直に返事をしながらも唇を尖らせる。 だが子供を抱き上げたまま歩き出すと首元にぎゅっと抱きつき、寒さですっかり凍えてしまった頬をすり寄せてきた。
 その仕草に曹丕は苦笑を浮かべた。 子供は怒っているのではなく、ただ一人で寂しかったので拗ねているのだと手に取るように解っていた為だ。
 何故なら子供の父も兄も仕事で家に滅多におらず、母とお手伝いの者も子供の弟達が年子だった事もあり、 一人遊びが出来る年の子に構う余裕などないのである。
 ならば同級生と遊べれば良かったのだが、同年代の子よりこの子供の知能が高すぎるせいで、 同級生と遊ぶ事はないようであり、そうするよりも九つ年上の曹丕に構って欲しがった。
 今では司馬懿の家族よりも実質曹丕が面倒を見ているようなものであった。 遊びに連れて行ってやり、優秀な子供さえ解けない問題を難無く教えてやる。まるで実の弟のように。
 勿論、今日もこれから曹丕の自宅で子供を構うつもりであった。

「すまぬな、これを買っていた」

 機嫌を取ろうと柔らかい頬に口づけながら、手にしていたコンビニの袋をその腕に託す。 好奇心が旺盛な彼は興味が擽られてか、小さな顔を突っ込むようにして覗き込む。 途端にぱっ、と顔を上げ、可愛らしい仕草で小首を傾げて見せた。

「ケーキ?!」
「ああ、お前と一緒に食べようと思ってな…おやつもまだなのだろう?」
「はい! ありがとうございます、しかんどの!」

 嬉しげに顔を輝かせた子供は大切そうにビニール袋を抱き締めた。だがすぐに、もじもじとした様子で曹丕の顔色を窺った。

「どうした?」
「…まいにちいっては、めいわくですか…?」

 子供はしょんぼりとした声音で呟いた。大方、親にでも怒られたのだろう。 一応曹丕は子供の父親と兄の雇い主の息子である。 例えば幼い曹丕の面倒を見るとかなら兎も角、逆に面倒を見て貰うのは失礼極まりないと思われている節があった。

「ふ…」
「…しかんどの…?」

 あまりの可笑しさに笑ってしまった。子供はと言えば何故曹丕が笑うのか分からないようで狼狽えていた。
 確かに曹丕は昼夜問わず子供の面倒を見ている。 それは当然、自分が好きでしている事であるから特に対価も貰っていないし、何ら苦に思った事はない。
 だが彼らから見れば、年頃の曹丕が部活や遊び、男女の付き合いに割くべき時間を、 息子が台無しにしていると思われているようであった。

「ああ、笑ってすまぬな…お前が迷惑などと可笑しなことを言うものだから…」
「…おかしいのですか?」

 入り口の警備員に会釈をし、子供を抱えたまま慣れた素振りでよく磨かれた銀色のパネルにオートロックキーを入力する。
 子供は小首を傾げながらも、曹丕の指先をじっと見つめていて、そっと笑みを漏らした。 子供が何をしてもどうにも愛しくて仕方ない。

「ああ、私はお前を迷惑に思った事など一回もないからな」

 寧ろ一体、何が迷惑になるのだろう、と思う。
 子供は利発でおとなしく、礼儀正しかったから手がかかったことなど一度もないのだ。 その上、子供は曹丕の隣に住んでおり、送り迎えにも家族に連絡を取るのにも特に不便はない… それどころか、こうして子供を構うのはとても楽しく癒される。
 とは言え勿論、気遣って貰えるのは有り難い。 だが子供に尊敬に満ち満ちた眼差しで見つめられ、いっそ無警戒と言わんばかりに全身で懐いてくれる事と比べてしまうと、 如何な楽しみであれ、どれも色褪せてしまう。

「…寧ろ来てくれた方が、とても嬉しい」
「どうして?」

 開錠された自動ドアを潜ると、品良く設えられたエントランスフロアを横切り、エレベーターへ乗り込む。
 曹丕の靴音と不思議そうな声が人っ子一人いないせいで静かな空間に響く。 予想外に響いた自分の声に気が咎めたのであろう、『しかんどの、どうしてですか?』と今度は小さく囁くようにして言い直した。

「私は一人暮らしだからな…誰もいない家に帰るのは少し寂しいものがある」
「…!!」
「…阿懿、ケーキが潰れてしまう」

 腕に抱えていたコンビニ袋を潰さんばかりにギュッと抱きかかえた子供に苦笑を零す。 しわくちゃになった袋を慌てて覗き込む姿を横目に階数の釦を押すと、 中身は無事であったらしく安堵の溜息が漏れてきてまた苦笑が込み上げてきた。

「大丈夫か?」
「はい、…あの、」
「何だ、想像つかなかったか」

 曹丕の問いに、消沈した様子で小さく首が振られる。心優しい子供らしさはやはり愛おしいものであった。

「気に病む事ではない。お前の家は大家族だからな…家に帰っても誰もいないという事には先ずなれなかろう。 …私も実家にいた頃は考えた事もなかった」

 曹丕とて何も最初から一人暮らしであった訳ではない。 少し前までは弟妹や従兄弟、養子達と共に育てられていたから、一人などとは縁遠いものであった。
 だから最近まで一人の寂しさに気が付く事はなかったのだ。 だからといって実家に戻ろうとは思わないが、こんな風に切り裂くように冷たい風はより一層寂しさを煽るような気がする。 灯りと人気(ひとけ)の無い部屋に気が滅入るのも確かなのだ。

「…阿懿がくれば、しかんどのさびしくない?」
「ああ」
「じゃあ、阿懿、きてもいいの…?」

 ぴとり、と身を寄せた子供はおずおずと口にした。 見つめてくる瞳に返事への期待と、断られるかも知れないとほんの僅かな懼れを込めて。

「当然だ。お前ならばいつ来ても構わぬ。…来てくれるか?」
「はい、しかんどの!」

 軽快な音がしてドアが滑らかに開くと生温いエレベーター内に高層階故にか強く冷たい風が吹き込んできた。 吹きさらしの廊下は煉瓦の色で、コンクリートの冷たく冴えない色ではない事がせめてもの救いだろうか。 しかし、仰いだ空はどんよりと厚い雲で覆われ、寒々しさを一層強めている。
 家はすぐそこだが、寒さに身震いした子供を引き寄せ、マフラーを直してやる。 嬉しげに顔を綻ばせた子供も、真似をしてぎこちない手つきで曹丕のマフラーを直してくれた。

「…雪でも降りそうだな」
「よる、ゆきがふるってテレビでみました」
「そうか。道理で寒い筈だな」

 鍵を取り出しながら相槌を打つ。途中、子供の家の前を通りがかった。 幼い息子達が多い司馬家の中からは子供の甲高い笑い声やら何やらが響いてくる。
 …これでは寂しいなどと思う暇もない、か。
 くすり、と思わず笑みが漏れた。扉に鍵を差すと、一際大きな叫び声と…母親らしき女性の叱声が飛んできた。 咄嗟に腕の中にいる子供が首を竦め、その推測が正しい事を知る。

「一旦荷物を置いてから、阿懿の母上にご挨拶せねばな。でないと、さぞ心配されるだろう」
「…はい。…あの、しかんどの、しゅくだい、もってきてもいいですか?」
「ああ、構わぬ」

 玄関に足を踏み入れると、今まで大人しく抱かれたままであった子供がもぞもぞと身動ぎをし、降ろすように訴えてきた。
 少し残念であったが、素直に降ろしてやると、玄関マットにコンビニ袋を置いて下から見上げてきた。 訝しく思う間もなく、はにかみながら子供が紅い唇を開く。

「しかんどの、おかえりなさい!」
「!」

 曹丕に真っ直ぐに伸ばされた腕。 引き寄せられるように膝を付いてその腕に身を任せた。それが当然の如く極自然に抱き締められて胸に暖かさが満ちる。

「…ただいま、阿懿」

 応えると、頬に幼い触れるだけの口付けが落ちた。同じように返してやりながら、互いに笑みが漏れる。

「…ケーキ、食べるか」
「はい!」

 けれど、もう少し、と。 離れる事なく、どちらともなく抱き締める腕を強くしたのであった。










 終





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おつかいのそのあとの話 1・2
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 クリスマス更新の続き、です…しまった内容的にバレンタインだった…!
 元ネタである蒼さんの純真無垢なちまい路線を大切に守っていたら(守りきれているかは兎も角として)、
海石が今まで書いたどの丕司馬よりも甘くなってしまった気が。
 そうか、甘いってこういうことだったんだ…!(ぇ)  100%自己満足な気がしますが、お気に召して頂けたら幸いです。

 因みに下記は無駄に妄想迸る海石的設定2です。参考程度にどうぞ。
  ・仔丕は、通学に便利+社会経験ってことで、高級マンションで一人暮らし。
    実は実家の兄弟、養子達、父親含めた親族の多さと騒がしさに一人の空間が欲しかった模様(笑)
  ・ちまいは賢すぎて周りと馴染めず、隣に住む優しい仔丕お兄ちゃんにベタ懐き。
  ・父上、兄上はおそそが経営する会社の社員。
  ・まだ頬にちゅ、位の清すぎる仲。(大人丕司馬と違う点!)

 


2010/01/31 ikuri