暗き冷檻、一条の。後篇・三















 公子が去っても、一人取り残された私は呆然と広間に佇んでいた。
 思惑が全て見透かされていた事だけではない。 今までの隠遁生活からあまりにもかけ離れた事が次々と起こり、 私にとってはまさに何かの夢の様な時間であった為に少し放心してしまっていた。
 特にあの公子は……、と考えて自然唇に指が伸びる。 ふに、と少しささくれだった己の唇をさすると、先程触れられかけた事を思い出されて頬は自然熱くなった。

 ……あれは、口付けしようとしたのだろうか……。

 怜悧な面差しに薄らと浮かべられていた笑み。 女性の唇の如くふっくらと如何にもすべらかそうという訳では勿論無かったのだが、 冷たそうな薄い唇が弧を描いただけで酷く魅了された。

 一体、口付けとはどの様なものなのだろうか?

 結局交わされなかった唇に想いを馳せる。 ……が、すぐに首を振って打ち消した。


「埒もない……、あれは風流人の戯れだ」


 ―――――そうだ。あれは戯れなのだ。

 高貴な身分の人は女だけではなく、男や少年すらも嗜むと聞く。 多少の事ならば禁忌でも何でもなく、欠片たりとて抵抗も湧かないのであろう。
 だから先程の出来事は、単に面白い小生意気な子供をからかっただけの事。 でなくばどうして自分の様な男児に……しかも彼の父親を貶めた奴に口吸いをしようと思うのだろうか。
 そこまで考えて、薬丹入れをぎゅっと握りしめる。 公子に手渡された時はひんやりとしていたそれは、今や自分の体温だけで温くなってしまっていた。

 そうだ、この玉を賜ったのと同じ戯れだ…そこにあったから、ただそれだけで深い意味などない

 そう考えれば一番しっくりきた。 その時に何故か、つきり、と胸が痛んだ気がしたが、気のせいだと強く念じて敢えて深く考える事はしなかった。










 終





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暗き冷檻、一条の蒼。前篇 / 後篇・一 - - 三
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 確実に芽生えたちまい………あ、蔑みの視線が痛い!;(怯)
 実はイメージも萌も充分漲ってた為、前篇・後篇が完成するよりも前に手直しする事もなく完成していたという代物。 こんな痛々しい事実を知るだろう蒼さんの反応が冷たいんじゃないかと思うとちょっと怖いです…(びくびく)

 とりあえずちまい視点と出会い編は此処でひと段落です。 次は丕視点か、その後のちまいでもちっと絡ませたいと思っております。(←懲りない奴)


 20080427   ikuri